ようやく採点終了・・・
本日、ようやく春学期科目の採点が終了しました。長い道のりでした。
宗教学6の期末レポートでは、学生たちの平和や戦争に対する理解に触れることができました。
もともと平和主義者であると自認していた人たちが、授業を聞くにつれて、その難しさを悟り、それ以外の立場(正戦論者等)へと転向していったことが、レポートを通じてうかがえました。
平和主義者をその道から脱落させるとは、けしからんと思われるかもしれませんが、やはり様々な角度から、その立場や考え方を鍛え直す必要があります。十分な思索を経ないで、ばくぜんと平和主義者であると思いこんでいることほど、お気楽なことはありません。
同じ平和主義者であるにしても、他の立場との批判的な比較考量を経て、納得いく信念として自らのものとしていく必要があります。
レポートの中で、その他、頻繁に取り上げられたテーマは「一神教と多神教」。これは、本当に多くの人が取り組んでくださったのですが、残念ながら、掘り下げがまだ十分ではないものが多かったように思います。
すでにできあがったステレオタイプを崩すのがいかに難しいかを痛感しました。
「一神教」にしても「キリスト教」にしても、非常に単純化して扱われているケースがあり、これは秋学期に克服すべき課題の一つであると強く思いました。
一般的に人は自分が知らないものを単純化してイメージしがちです。しかし、それが間違ったイメージを再生産することにもなりかねませんので、学問的には注意が必要です。
採点が終わって、やれやれなのですが、来週月曜日までに論文を二つ仕上げなければなりません。お盆休みも吹き飛ぶような気の重さです。(T_T)
夏ばてしている暇もありません。うっ、我ながら、クライ・・・
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コメント
小原さん
採点終了との事、仕事ととはいえ、お疲れ様です。
先ほど、「正戦論者」という言葉をグーグル検索して引っ掛かったページにざっと目を通したのですが、今の私の知識と併せて考えるに、「そもそも日本人は、本当に平和主義者なのか?」という疑問は拭えません。
日本において、国を意識した発展を進める上で、無私の観点を尊重した教育がなされて来ていることは御存知かと思います。そして戦後を迎えた日本では、「平和教育」がなされるようになったわけですが、アメリカの影響もあり、本当の平和主義の国になることは無理です。
人によっては、中国や北朝鮮などの脅威を引き合いに出して、憲法9条に基づく平和主義を時代遅れのものとして非難しますが、中国にしろ、北朝鮮にしろ、その国民に無私を求めた発展を前提とした国家であることは否めません。そのため極々単純に彼らを「正戦論者」とするならば、そう断じることの出来る日本人も本義的には「正戦論者」に他なりません。
憲法9条があり、敗戦国としてアメリカを頂いているからこそ、日本人として「平和主義者」であることに疑いを抱く人はいないのかも知れませんが、そうしたことへの自覚がないのであれば、日本人は「平和主義者」の仮面を被った正戦論者として、その仮面を本当の顔だと信じた行動を取るが故の愚行(愚考でしょうか?)に塗れて行くのでしょう。
そのため、憲法9条を改正することを求める人たちに、そうした認識が全くないのであれば、私としては本当に恐ろしいことだと思います。そして、そうしたことを考えると、小原さんが「同じ平和主義者であるにしても、他の立場との批判的な比較考量を経て、納得いく信念として自らのものとしていく必要があります。」と示されているにつけ、大変有り難く思わざるを得ません。
「一神教と多神教」については、私自身、物事を単純化してステレオタイプの見方に拠ることを余儀なくされる一人としては、耳に痛い内容でした。一神教にしろ、その宗教を尊ぶ人たちの教義解釈は様々であり、右寄り・左寄りの見方もあります。そして多神教はそれに応えているようにも見えなくもありませんが、知識の少ない私には、そう断じて良いものか分かりません。
飽く迄も私個人の見方になりますが、「日本において神仏習合が進められた理由の一つとして、八百万の神々を曼荼羅などに提示される“調和関係”に統合させることで、宗教世界において散見される状況に神道をして統一感を持たせ、一神教を尊ぶ人たちとの精神的な基底を通底させようとした狙いがあるのでは?」と、私は考えています。そのため正直な話、私は一神教とか多神教とかに拘ることが出来ません。
日本において、そうした目論見があったかどうかは知れませんが、そんな国では、ちゃんぽんのような視点を一般として得ることは出来ます。一方、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、一神教を選ぶに至った国々においては、神ではなく聖人への位置付けを助けとし、一神教から多神教へと転じることに歯止めを掛けようとしています。
そんなふうに考えることは出来るものの、それから先を考えることが難しいです。
それぞれの正義があり、その正義を肯定する神がおり、その安心感からか、人間は相対する宗教・宗派の人たちを(“非常に”かどうかは兎も角)単純化してイメージすることを恐れない。小原さんは、それをして「学問的には注意が必要」と示されていますが、私個人としては、そう断じることが出来るほど、物事を達観することが出来ていません。
私も、自身の将来のことを考えると気が重いのは勿論のこと、そうしたことを考えると、やはり気が重くなります。最後になりますが、いつもよりも長文となり、大変失礼しました。
投稿 大和 | 2007.08.16 00:07
大和さん
非常に丁寧なコメントをいただき、ありがとうございました。このコメントを読んで、さらに考えをめぐらせた方は多いのではないかと思います。
平和主義を自認する多くの日本人にとって、その足下が意外と脆弱なのは、学校などで批判的問いかけをされずに、その大切さを説かれてきた結果だと思います。
平和主義の伝統を世代を超えて継承していくためには、節目において、新しい世代が自分の言葉で、コトの大切さを語り直す「めんどう」を引き受けなければなりません。それは、今のところ十分なされていないというのが、私の印象です。
一神教と多神教の問題は、単純そうで、けっこう根が深いです。誤解されている部分も多くありますので、この種の議論を「解決済み」としてしまわないで、いろいろな角度から説明を続けていきたいと考えています。これは、まさに私が負わなければならない課題として自覚していますので、長い目で見守っていただければと思います。
ともあれ、論点整理に役立つ長文コメント、ありがとうございました。
投稿 小原 | 2007.08.17 00:51
小原先生
宗教学(6)インターネットで何度も聴講させていただきました。もう学窓と縁遠い高齢者ですが、戦争・平和の問題に自分なりに取り組む機会を与えられたことを感謝申し上げます。
わたしはそこから幕末以降の近代史として主として国家神道の問題を考究しています。日本国憲法が、あのアジア太平洋戦争の結末を引き受け、深い傷を負ったアジアの人々と共有しているとの認識が求められます。しかし、戦後から遠く離れて世代の意識は変わってまいります。そこには立場によって、不協和音や歪みが生じています。そこで、問われなければならないのは、その歴史認識が健全であるかどうか、それを他者に向かって開き、問いかけていく覚悟があるかどうかではないでしょうか。
投稿 Y.Tanaka | 2007.08.19 14:40
小原さん
私は、ドイツの戦後教育について知る中で、“学校などで批判的問いかけをされていること”“平和主義の伝統を世代を超えて継承していくためには、節目において、新しい世代が自分の言葉で、コトの大切さを語り直す「めんどう」を引き受けること”がなされて来ていることを知りました。
その取り組みに際し、ドイツにおいて十分な成果が上がっているのかどうかは知れませんが、その一連のことを知ったとき、私として「日本よりも進んでいるのだなぁ…。」という印象を得る他ありませんでした。
そうしたことを考えると、小原さんの返して下さった内容に際し、有り難い気持ちになります。ありがとうございました。
投稿 大和 | 2007.08.22 20:21
Y. Tanakaさん
コメント、ありがとうございました。
宗教学6をインターネットで聴講されたとのこと、うれしく思います。毎年、少しずつ改良しています。今年は、仏教関係や国家神道を含む日本近代史の部分を、かなり強化しました。
まだ私自身も勉強中ですが、このあたりのことを目下取り組んでいる論文の中で、まとめていきたいと考えています。
投稿 小原 | 2007.08.23 02:10