講義・講演

2007.12.04

浄土真宗本願寺派 教学シンポジウム(動画付き)

071204_1 12月4日、本願寺聞法会館で行われた教学シンポジウム「念仏の源流」に参加してきました。
 親鸞聖人750回忌を数年後に控え、親鸞聖人の教えをあらためて学び直そうという意図のもと、昨年から、この教学シンポジウムが始まっています。今年2回目で、6年にわたる計画を立てているとのことです。

 基調講演は、東大の末木文美士先生によって「念仏の源流と展開――「他者」と「死者」との関わり」と題してなされました(右写真)。

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2007.10.10

Virtual Lectures に追加

 小原克博 On-Line の Virtual Lectures に、 「暴力の臨界と平和主義――教育再生から憲法9条まで」 (大阪南YMCA キリスト教オープンセミナー)を追加しました。
 音声とパワーポイントを連動させています。
 マイクの取り付け位置が悪かったせいか、時々、ごわごわした雑音が入っていますが、音声は問題なく聞き取れると思います。

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2007.09.28

綾部市長と面会、その後、大阪へ

070928_1 9月27日お昼、綾部市長の四方氏と初めてお会いし、寒梅館のSecond House Will で昼食を共にしました。
 少しいきさつを話す必要があります。
 四方氏は、私が『京都新聞』に書いた「世界平和の足場はどこに」(8/20)を読まれ、その内容に対する共感を記した、非常に丁寧な手紙を送ってきてくださいました。その中で、機会があれば会って話がしたいとありましたので、日程調整の上、お会いすることになった次第です。
 四方氏を通じて、私は初めて知ったのですが、綾部市は世界連邦都市宣言をはじめて行った地方自治体であるらしく(昭和25年)、四方氏自身も世界連邦運動に深く関わり、綾部市では数年前にイスラエルとパレスチナから子どもを呼んで、中東和平に取り組んでいます。
 綾部市というと、大本の聖地(本部)があることでも知られていますが、四方氏は大本の内部事情にも通じており、ずいぶん勉強になりました。
 ちなみに、あのグンゼも綾部市が創業の地です。
 綾部のような地方都市において、高い志がかかげられ、実践がなされていることに強い感銘を受けました。

070928_2  さて、その後しばらく用事で学内をうろうろしたあと、夕方から大阪の天王寺に向かいました。昨日お知らせしたように、大阪南YMCAキリスト教オープンセミナーで講演をするためです。
 天王寺は遠いっ! 大阪から環状線で30分弱かかります。

 講演の後、質疑応答が30分程度あったのですが、鋭い質問が出され、語った内容をしっかりと受けとめてくださっていたことがわかりました。
 帰宅したときには、11時を回っていました。

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2007.09.26

大阪南YMCA「暴力の臨界と平和主義」

 うっかりしていて、直前の案内となりますが、明日9月27日、大阪南YMCA(天王寺)で「暴力の臨界と平和主義――教育再生から憲法9条まで」というタイトルの講演を行います。18:30~です。
 都合のつく方はお越しください。なお、詳細は下記PDFをご覧になってください。講演趣旨は以下のようになっています。

 暴力の連鎖は、より大きな暴力のエネルギーを生み、時には大きな戦争にまで至る。それは、あたかも制御棒の脱落した原子炉が暴走し臨界に達するかのようである。暴力を完全になくすことは難しい。しかし、暴力が臨界に達しないよう、それをコントロールする「制御棒」としての平和は、今、どこに求められるべきなのか。テロや紛争を押さえ込むためには、やはり強硬な武力が有効なのか。
 国内では「教育再生」のために道徳教育の強化が目指され、また国土防衛を大義として憲法9条の改正が進められようとしている。ソフト面、ハード面の両方向からの強化策は、いずれも国民生活の基幹に関わる問題であるが、行き先は見えていない。
 このような時、歴史を振り返ることが大切である。日本の近代史を、あるいは、平和主義の一源泉としてのキリスト教を振り返りながら、現在と未来の課題を展望してみたい。

「lecture070927.pdf」をダウンロード

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2007.07.28

未来エネルギー研究協会で講演

 今日は、未来エネルギー研究協会 主催の第7回サマースクールで「ヒトは「環境」とどのように向き合ってきたのか?――暴力の臨界と科学倫理 」と題して話しをしてきました。
 聞き手がどのような人たちがよくわからなかったので、とりあえず、エネルギー問題や環境問題にひっかけて話しを展開しました。

 到着してから参加者リストを見ると、京大関係の先生方のほか、核融合などを専門にしている大学院生(京大、京都工業繊維大学)たちが多くいることがわかりました。

 このサマースクールでなされた他の講演資料などを見ると、核融合、スプリング8、超伝導、プラズマ、ヘリオトロンなどの言葉が散りばめられており、ようやく、どのようなグループであるのかイメージができてきました。

 普段の自分の研究とまったく異なる分野の研究者たちに話しをするのは刺激的で、私にとっては貴重な経験となりましたが、どれほど話しが伝わったかどうか・・・

 アインシュタインが核兵器の開発をルーズベルト大統領に進言するも、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下後にその凄惨さを知って、大いに後悔する、といった話しを織り交ぜながら、最終的に、科学倫理のあり方、科学者の社会的責任を問う内容になりました。

 現在進行中の柏崎刈羽の原発事故の問題にも触れながら、原発の安全神話が崩れつつある状況の中で、どのようにして科学技術と社会のインターフェイスを作っていくのか。

 ディスカッションにも予定以上に多くの時間を割くことができ、個人的には満足いく機会となりました。聞き手の専門領域を事前に把握していれば、もう少し焦点を絞り込んだ話しができたかもしれません。

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2007.07.19

安居特別講義

 今日は、浄土真宗本願寺派 安居特別講義で「日本近代史における戦争と平和――仏教とキリスト教の関係を中心にして」という話しをしてきました。
 会場は、龍谷大学の講堂。これは重要文化財に指定されている建物で、外見も中身も立派。中に入ってまず感じるのは、天上が非常に高いことです。今の時代では、このような贅沢な作りはなかなかできません。

 本願寺では毎年7月に全国の僧侶が参集して教学の研鑽を行っており、安居(あんご)と呼ばれています。安居には、およそ360年の歴史があります。
 今年は「仏教と平和」という特別論題が設定されており、その一環として私が話しをしました。本願寺の「戦時教学」や戦争責任にも言及しましたので、聞かれた方々がどのように受けとめられたか少々気になりますが、受け止め方に幅があることは想像できます。
 日本型政教分離がどのように戦争協力に結びついていったのか、が話しの中心でした。

 本願寺のように伝統と力のある教団には、積極的に平和構築の働きを担って欲しいと思います。

 参考まで、比較的最近の大谷門主の発言に関する記事を紹介しておきます。

■浄土真宗本願寺派・大谷門主 OBサミットで積極発言
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200705260171.html

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2007.02.17

水垣先生講演

070217  今日は、関西セミナーハウスの「修学院キリスト教セミナー」に出席し、水垣渉先生(京大名誉教授)の話を聞きました。

 午前中、関西セミナーハウスの運営委員会があり、その続きで、久々にキリスト教セミナーに参加しました。

 講演テーマは「共同体の歴史としてのキリスト教」。水垣先生とは学会などの関係でよく顔を合わせるのですが、じっくりと話をうかがう機会はあまりなかったので、興味深く耳を傾けました。

 キリスト教の歴史全体を振り返る形で、教会の多様化や「教派」への拡散のプロセスを語られました。しかし、そのような時代の趨勢の中にあって、キリスト教は「共通意思」のようなものを形成する必要があると語られたのが印象的でした。現実には、そのような方向付けが見出しにくいだけに、そうした主張はある種の希望(あるいは責任)を感じさせられました。

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ICUで講義

 2月16日、国際基督教大学(ICU)の森本あんり先生のクラスで講義を担当してきました。
 このクラスのシラバスは以下の通りです。
http://subsite.icu.ac.jp/people/morimoto/Syllabi/Eth2-06.html

 シラバスをご覧いただければわかるように、基本テキストの一冊として『原理主義から世界の動きが見える』をあげてくださっています。
 私が担当したクラスは、全体で105分の授業時間がありました。これを週2回やって1クラスとなっているようです。
 同じテーマの授業を週に2~3回行うのは、アメリカの大学に準じたやり方で、同志社などでは、同じようにはできそうにありません。
 ICUは3学期制をとっていて、そのせいで、普通の大学であればはや休みとなっているのに、いまだ授業を続けているとのことでした。マジメな大学です。

 ICUを訪ねたのは3回目くらいですが、キャンパスが広く、木々が立派なので、本当にゆったりとした気持ちになります。すばらしい環境です。もちろん、教育環境も!!

■森本あんり
http://subsite.icu.ac.jp/people/morimoto/

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2007.01.30

発表レジュメを二つ追加

 先週行った研究発表および講演のレジュメを小原克博 On-Line に追加しました。関心のある方はご覧になってください。

 

K-GURSの研究会で行った発表は、けっこうリアクション(誤解も!)があったので、いずれきちんと論文としてまとめてみたいと思っています。時間があれば、の話ですが・・・
 仏教の土俵の上でやるのは、その専門家でない人間にとっては勇気がいりますが、同時に、非専門家ならではの切り口も提供できると考えています。
 相互理解を深めていくためには、こうしたアプローチは欠かせないと思っていますので、今後も臆せず継続発展させていくつもりです。

 西宮教会での講演は、手島先生とペアーでやりました。キリスト教とユダヤ教がテーマでした。一神教研究の成果を教会で披露するのは初めてであったのですが、こうしたことを知らせる意義のあることを強く感じました。

「近代日本宗教史の中の「原理主義」」(K-GURS研究会)
「一神教としてのキリスト教」(西宮教会)

 昨日の組み立て中パソコンの背後にガンプラが立っているのを目ざとく指摘してくださった方が数名いました。「あのプラモデルは何ですか~」という素朴な質問にはちょっと狼狽してしまいますが・・・
 組み上がっているのですが、まだ細部の塗装などが終わっていないので、ぼんやりと登場させています。実は、昨年12月暮れに発売されたガンプラの最新作です(MG ストライクフリーダム ガンダム)。ガンプラの進化の極みを堪能させられた製品でした。これについては、また後日。


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2006.11.01

10/28講演をVirtual Lecturesに追加

小原克博 On-Line「Virtual Lectures」「キリスト教の歴史と文化」(京都光華女子大学 真宗文化研究所主催「光華セミナー」)を追加しました。

 一昨日、このBLOGで音声をアップできるかも、と書いたところ、多数のリクエストをいただきましたので、がんばってパワーポイントと連動した音声をアップしました。

 ICレコーダーを置いた場所が悪かったのか、マイクを通したモゴモゴとした感じの声になっており、あまり鮮明な録音とは言えませんが、話している内容は十分に聞き取れると思います。

 全体は長いので、関心のある方は区切って聞かれるとよいでしょう。途中で中断しても、次にその中断箇所から聞くことができるようになっています。

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2006.10.29

キリスト教の歴史と文化

 10月28日(土)、光華セミナーで「キリスト教の歴史と文化」というテーマで講義をしました。

 90分×2という形で行われたので、通常の講演会に比べれば、ずいぶん時間的余裕はあるというものの、「キリスト教の歴史と文化」という大きなテーマを限られた時間でやるには、かなり内容の圧縮を行わざるを得ませんでした。

 こういう概論をたまにやると、一般論を語りながらも、自分にとっての重点項目が何であるのかが明確になるので、おもしろいとも言えます。

 講義中、たびたび「光華セミナー」の趣旨に言及しました。

「文化」は人間の精神的営為の所産といえるが、思想・倫理・規範・組織などのすべて を包括して人間の一生の指針となる宗教文化は、その極に位置するであろう。今、地域と時代の二つの座標軸の交差点に登場したさまざまな宗教文化を概観することによって、仏教の究極態とも考えられるわが「真宗文化」の意味と価値の検証を果たすことが、本セミナーのねらいである。なお2007年には、続編として「日本の宗教と文化」を開講する予定である。

 皮肉な意味ではなく、「真宗文化」に対するストレートな自負心があふれていたので、それをとりあげました。そして、講義を「この信念をぜひ社会や世界にわかるように伝えてください」と締めくくりました。

 講義を録音したのですが、音声があまりよくありませんでした。うまく処理できれば、いずれアップしたいと思っています。

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2006.07.06

上智大学でのシンポジウム

 7月5日(水)、上智大学で行われた国際シンポジウム "The Roles of Religion in the University"にパネリストとして参加し、"Recent Developments in the Study of Religion at Doshisha University"というタイトルで発表をしました。
 同志社の宗教教育の変遷、同志社科目の新設、神学部の最近の変化、CISMOR、K-GURSなど、私が関わっていることを幅広く紹介しました。
 Keynote Speakerとして、元ハーバード大学世界宗教研究センター所長のL. Sullivan教授(現在、Notre Dame University)が来日されていました。ハーバードでの経験や、なぜ、ノートルダムに移ったのか、など興味深い話をしてくださいました。さすがにこの分野の第一人者だと思いました。
 上智大学は、この4月から国際教養学部ができて、その記念シンポジウムという位置づけでした。この学部の授業は、基本的にはすべて英語で行われています。したがって、当然のことながら、今回のシンポジウムも公開ですが、すべて英語で行われました。けっこう複雑な内容が話し合われていましたが、それが理解できていれば、上智の学生さんは大したものだと思います。

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2006.06.18

京都中央チャペルで説教と講演

 今日は、京都中央チャペル(ペンテコステ系)で説教をし、午後には「ダ・ヴィンチ・コード」の講演をしました。
 ペンテコステ系の教会での説教は初めてでしたが、讃美や祈りにあふれたノリノリの礼拝は、とても新鮮でした。
 「ダ・ヴィンチ・コード」講演会は、『ハーザー』というペンテコステ系の月刊誌の編集長・笹井氏との組み合わせで、案内チラシによれば「保守派VSリベラル派のガチンコ対談」ということになっていました。実際、保守派の人々の集会に、私のような「リベラル派」と言われる人間が招かれるのは、きわめてまれで、その意味では、きわめて意味のある集会であったと思います。
 保守派の方々が「ダ・ヴィンチ・コード」をどのように見ておられるのかがよくわかりましたし、また、日本ではキリスト教保守派といっても、いわゆる福音派とペンテコステ派との間には、何かと距離があることも理解することができました。ちなみに、アメリカではペンテコステ派もエヴァンジェリカル(福音派)を名乗っており、両者はかなり緊密な関係を持っています。

 先週土曜日に同志社で行った講演会の内容を下敷きにしながら、保守派の主張を意識した話をしました。保守派の方がリベラル派に対して抱いているある種の思い込み(誤解)を、多少は修正できたのではないかと思います。
 保守派とリベラル派の対話というのは、どの教派・宗教にとっても、難題の一つになっています。その意味では、この種の対話を継続していくことができればと願っています。

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2006.06.14

ダ・ヴィンチ・コード講演会の動画配信開始

 公開講演会「『ダ・ヴィンチ・コード』を読み解く」を「神学部オープンコース」に追加しました。
 当日の配付資料を掲載しています。講演会の全体を動画(ストリーミング・メディア)としてご覧いただけます。
 スライドやアニメーションが多く、コンテンツ作成には苦労しましたが、その分、お楽しみいただけると思います。

■神学部オープンコース
http://theology.doshisha.ac.jp/opencourse/index.html

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2006.06.11

配付資料を掲載

 ダ・ヴィンチ・コード講演会における配付資料を「神学部オープンコース」に掲載しました。
 実物はリソグラフで印刷した、鮮明度の高くないものでしたが、掲載したのはカラー版です。
 動画は、今週中には掲載できると思います。もうしばらくお待ちください。

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2006.06.10

ダ・ヴィンチ・コード講演会、満員御礼

060610 土曜日午前中にもかかわらず、たくさんの来場者があり、講演会の開始前に、礼拝堂は入りきれなくなりました。450名ほどの来場者があったとのことで、神学部主催の講演会としては最高記録かもしれません。これほど多くの人がダ・ヴィンチ・コードに関心を寄せているとは、私の想像を超えていました。
 結局、礼拝堂に入りきれなかった来場者は別教室に誘導し、そこでビデオカメラ経由の映像を液晶プロジェクターで見ていただきました。
 しかし最終的には、その教室にも入りきれなくなり、廊下に来場者があふれ、教室から漏れ出る音声を聞いていただくことになりました。もちろん、礼拝堂の中にいた私は、こうした様子を、あとから教えてもらって知ったのですが、立ち見で最後までお付き合いいただいた来場者の方々には、不便おかけしたことを申し訳なく思います。

 私も越後屋先生も、予定の30分ではまったく話はおさまらず、50分くらいは話したと思います。十分な時間を取ることはできませんでしたが、質疑応答も活発になされ、来場者の関心の高さをあらためて感じることができました。

 講演の内容は、後日、神学部オープンコースでストリーミング・ビデオとして公開する予定にしています。もうしばらく、お待ちください。

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2006.06.09

ダ・ヴィンチ・コード講演会、明日!

 いろいろな新聞に講演会の案内が掲載された結果、ダ・ヴィンチ・コード講演会について、尋常ではない数の問い合わせが、神学部事務室にあるそうで、事務室では明日の来場者が会場に入りきれなかった場合、どうするかと、かなり気をもんでおられます。
 私は「何とかなるでしょう~」と、それほど深刻には考えていないのですが、ふたを開けてみないことには実際の所はわかりません。
 会場となる神学館礼拝堂のキャパシティは260~270名ですから、通常は全く問題ないのですが・・・ どうなることやら。
 結果は、またご報告します。

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2006.06.06

「宗教と社会」学会の学術大会

 6月3日~4日、同志社大学を会場として「宗教と社会」学会の学術大会が開催されました。
 6月3日は研究発表、6月4日はテーマセッションが行われ、4日には同志社のCOEプログラムとの共催テーマセッション(一般公開)が以下のように開催されました。

9:30-12:00
「一神教としてのユダヤ教・キリスト教・イスラーム――『原理主義』から見た相互認」
発表者:手島勲矢、小原克博、中田考(同志社大学)

13:30-17:00
「『原理主義』の実相――中東・アメリカ・EU」
発表者:臼杵陽(日本女子大学)、森孝一(同志社大学)、内藤正典(一橋大学)

 私は午前中に発表、午後は司会で、出ずっぱり状態でしたので、かなり疲れました。しかし、一流の発表者を迎え、かなり啓発される機会となりました。
 内藤先生とは久しぶりにお会いし、新たな刺激を与えられました。話し出すと止まらないので、ノリノリの様子はうれしい限りなのですが、司会者としては内心ハラハラしていました。
 EUの加盟各国が、それぞれの抱える問題の解決のために自らの原理に立ち返ろうとしている一方、それが「イスラモフォビア」(イスラムへの憎悪感情)として収斂することが多いことを強調しておられたのが、印象的でした。
 内藤先生の近著『イスラーム戦争の時代――暴力の連鎖をどう解くか』は、イスラーム世界の全般的な様子、そして、特にヨーロッパでの事情を概観する上で、読みやすく有益な本であると思います。

 私は金曜日、月曜日とも授業が詰まっているため、先週末から月曜日まで、ほとんど休む間がなく、へとへとの週末・週初めとなりました。今週土曜日にはダ・ヴィンチ・コード講演会も控えており、なかなか休みたくても休めません。(∋_∈)

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2006.05.23

各種講演案内

060523 韓国から帰国後、怒濤のごとく仕事に追われ、韓国での報告もままならず、今日まで来てしまいました。
 本日の朝日新聞朝刊の「同志社掲示板」に、私が関係する講演会の案内が出ました。
 よく考えると、いずれも日が迫っており、この広告を見て、ため息をついてしまいました。
 ぎりぎりにならないうちに、準備をしたいと思います。

 「ダ・ヴィンチ・コード」講演会については、先週金曜日の朝日新聞夕刊で紹介され、その後、毎日のように問い合わせの電話が事務室にあるとのことで、事務の方は「会場をもっと広いところに代えた方がよいのでは?」と心配されるのですが、「土曜日午前中なので、まあ大丈夫でしょう~」と楽観的返答をしています。さて、どうなることやら・・・

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2006.05.17

シンポジウム当日

060516 予想以上にたくさんの人やメディア関係者がシンポジウムに参加されました。私も一応役目を無事果たすことができました。
 レセプションになって来場者の顔ぶれなどがわかってきたのですが、科学者や宗教関係以外の研究者の人がたくさんおられたのが印象的でした。
 右の写真は、レセプション終了後の記念写真。何となく、皆ほっとしたような(気が抜けたような)顔をしています。
 今回得た経験については、またぼちぼち報告いたします。

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2006.05.08

「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く(5)

 オプス・デイについて、おもしろい情報を見つけたので、紹介します。
 まず、オプス・デイについての基本情報は下記のサイトで得ることができます。「ダ・ヴィンチ・コード」の中では得体の知れない秘密結社として描かれていますが、下記サイトは、何ともユーザーフレンドリーです。オプス・デイの信者になるにはどうしたらよいのか、などもQ&A形式で記されています。各国のサイトにもジャンプできます。

■オプス・デイ
http://www.opusdei.jp/

 おもしろい情報というのは次の記事。オプス・デイの機関誌がダンテの『神曲』に描かれている預言者ムハンマド(地獄にいる人物として描かれている)を掲載して、ムスリム団体から批判されました。「世界キリスト教情報」から関連記事を転載しておきました。
 その騒動に対する謝罪の記事です。しかし、おもしろいのは、同じ記事の中で、「ダ・ヴィンチ・コード」はオプス・デイをひどく描いている、と自分たちもまた犠牲者であることを語っていることです。秘密結社(?)らしからぬ弱気の姿勢に、かわいげを感じます。(^_^;)

■On the "Studi Cattolici" cartoon
http://www.opusdei.us/art.php?p=15087

◎伊カトリック誌もムハンマド風刺漫画掲載
 【CJC=東京】カトリック宣教団体『オプス・デイ』(神の手)の月刊機関紙『スチューディ・カットリチ』(カトリック研究)3月号がイスラム教の開祖ムハンマドが地獄にいる漫画を掲載したことに、イスラム教団体から激しく反発、バチカン(ローマ教皇庁)もいるという。
 漫画は、古代ローマの詩人ウェルギリウスがダンテ・アリギエーリの『神曲』でダンテと地獄、煉獄の世界を遍歴していく中でダンテに、「(体を)裂かれているのはムハンマドではないか」と尋ねると、ダンテが「そうだ。彼は社会に分裂をもたらしたから」と答えているもの。その中でパンツを下ろした人物をイタリアの対イスラム政策になぞらえた。
 世界ムスリム連盟イタリア本部は漫画を「極端な悪趣味」としバチカンのイスラム専門家ユスト・ラクンザ・バルダ神父も「対話と相互理解につながるとは思えない」と遺憾の意を示している。
 『オプス・デイ』は故教皇ヨハネ・パウロ二世によって「属人区」という独特の組織の形成を認められた。
 ムハンマドを風刺するイラストはこの2月にデンマークの新聞に掲載され、世界規模でイスラム教徒の反発を呼び、暴力事件にまで発展した。

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2006.05.03

「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く(4)

 「ダ・ヴィンチ・コード」を批判する雑誌や本は世界中であまたと出ており、また、カトリック・プロテスタントを問わず保守系のキリスト教からの批判的メッセージも数え切れないほどあります。
 それらの論調はかなり似通っています。多くの批判者が頭に来ているのは、小説冒頭で「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」とダン・ブラウンが記している点です。そして、批判者の多くは、小説の各所にある事実誤認を指摘し、いかにそれが真実からほど遠いかを示そうとします。つまり、これほど事実に反する事項をたくさん有している本が、全体として正しいメッセージを発しているはずがないでしょう!ということを言わんとしているようです。

 確かに、私がはじめて読んだときも、首をかしげたくなるような箇所はいくつもありましたが、それで頭に来ることはありませんでした。日本の一般読者にとっては欧米で議論になっている点のほとんどは「???」でしょう。細部の事項について真偽判断をしたり、謎解きの続きをするのも結構ですが、やはり、もっと骨太な問題理解をしておいた方がよいと思います。

 では、多くの批判者がもっとも気にしているポイントとは何か。多くの批判者は「ダ・ヴィンチ・コード」をニューエイジ、あるいは現代のグノーシス主義として批判しています。こうした思想の蔓延を敵視していると言ってよいでしょう。
 この点について、後日あらためて触れたいと思います。

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2006.05.01

「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く(3)

 昨日紹介した講演の趣旨において「ユダの福音書」に言及しました。
 「ユダヤの福音書」は一般紙などでもすでに紹介されていますが、今月号の「ナショナル・ジオグラフィック」が「ユダの福音書を追う」をテーマに20ページほどの特集を組んでいます。980円なので雑誌としては高めの値段ですが、他の記事もなかかな楽しめました。写真も、すばらしいです。

 東京近郊にお住まいの方は六本木ヒルズで開催中の「ダ・ヴィンチ・コード展」(4/28-6/23)に行くのも、よいかも。私も開催期間中に東京に行く機会があるので、時間があれば、のぞいてみたいと思っています。

 

「キネマ旬報」が「ダ・ヴィンチ・コード」についての特別号の刊行を予定しています。なぜ、こんなに早く知っているかというと、原稿を依頼されたからです。「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだのは、かなり前なので、細部は記憶の彼方。登場人物すら、思い出せないような状況ですから、GW中にもう一度読むことになりそうです。
 ほかにも、GW中に書かなければならない原稿が三つも・・・(泣)

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2006.04.30

「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く(2)

 続きです。
 「ダ・ヴィンチ・コード」についての講演会をするというのは、一種の便乗商法のように思われるかもしれませんが(もちろん、そういう部分もありますが・・・(^_^;))、こうした講演会を企画するに至った理由があります。
 私は、どちらかという流行のものにすぐに飛びつかない方なのですが、2年前、小説の「ダ・ヴィンチ・コード」が国内で刊行されてから、よくこの本について聞かれました。まだ、この小説を読んでいなかったときには「読んでいないので、わかりませんね~」という感じでごまかしていたのですが、あまりにも聞かれる頻度が多くなり、これは読んでおこうと、一気に読みました。ほぼ徹夜の状態で、まさに一気読みして、この小説のおもしろさをようやく自分で感じ取ることができました。
 それから授業で取り上げたりして、学生の反応が非常によいのを経験したりしている内に、映画化決定、そして、いよいよ上映開始となり、これまでの感じてきたことを、やはりまとめておくべきだろうと思った次第です。
 賛否両論ありながらも、キリスト教を素材としたこれほどの話題作は、めったにあるものではありませんから、やはり、ある種の説明責任というものを感じています。

 以下、今回の講演会を企画するに際の趣意書の一部を紹介しておきます。細部については、順次、紹介していくつもりです。

 今話題となっている小説および映画の「ダ・ヴィンチ・コード」を素材にして、キリスト教神学のおもしろさを伝えることを目的とする。「ダ・ヴィンチ・コード」と同様に話題となっている「ユダの福音書」グノーシス思想の影響を受けているという共通点を持っているので、「ユダの福音書」も関連素材として取り扱う。
 プログラム前半の講演部分では、小原が導入を兼ねて、キリスト教思想(救済論・グノーシス思想等)や現代キリスト教事情(カトリックや保守派キリスト教の動静)の視点から「ダ・ヴィンチ・コード」とその影響についての分析を行い、また、越後屋先生には聖書学および考古学の視点から語ってもらう。「ユダの福音書」についても、越後屋先生に重点的に扱っていただく。
 アメリカを中心に、世界の各地のカトリック教会や保守系プロテスタント教会では、イエスの神性を冒涜するとして抗議運動が起こったり、あるいは映画「ダ・ヴィンチ・コード」の上映を伝道の機会としようとする動きが見られたりする。
 高まる議論は欧米世界に限定されない。隣国の韓国では、韓国基督教総連合会(韓基総)が4月はじめ、「ダ・ヴィンチ・コード」の上映禁止仮処分をソウル中央地裁に申請した。日本の福音派教会でも、「ダ・ヴィンチ・コード」への批判論が強まっているが、実際にそれを読んでいる人は多くないと聞く。
 いずれにせよ、「ダ・ヴィンチ・コード」への関心は、クリスチャンに限定されない社会的現象となっており、一般市民においても、この作品、その背景や影響に対する関心は高いだろう。その点では、「ダ・ヴィンチ・コード」は、かつてキリスト教世界で論争の的となった映画「パッション」や「最後の誘惑」をはるかに上回る社会的関心を喚起していると言える。

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2006.04.29

「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く(1)

 新学期が始まって、予想通り、猛烈に忙しい日々が続き、体調を崩しながら、息も絶え絶えの状態で、ようやくゴールデン・ウィークにたどり着いたという今日この頃です。
 今学期は、9つの授業を担当していますが、これって、かなり殺人的なスケジュールです。泣き言をいってもどうしようもありませんから、慣れていくしかありません・・・(泣)

 というわけで、このBLOGもしばらく書き込みできずにいましたが、今日は新しい情報をお知らせします。6月に予定されている講演会についてです。
 まずは以下のように概要をお知らせいたします。私が考えていることについては、これから、少しずつお伝えしていきたいと思います。今書店では「ダ・ヴィンチ・コード」の解説本が各種で回っていますが、それらでは知ることのできないような知的興奮を与えるような講演会にしたいと願っています。

■同志社大学神学部・神学研究科 公開講演会
「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く
――キリスト教思想・聖書学・考古学の視点から

日時:6月10日(土)10:00~12:00
場所:同志社大学 今出川校地 神学館礼拝堂
講師:
 小原 克博(神学部教授)
 越後屋 朗(神学部教授)
※入場無料・事前申込不要
問い合わせ:神学部事務室(075-251-3330)

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2006.03.27

WCCの宗教間対話

060327 今日は、関西学院大学の神田先生が「WCCの宗教間対話に関する指針」というテーマで、NCC宗教研究所で講演をされました。
 わたしは、この講演と同時刻にあった会議を終えた後、急ぎ足で会場に向かいました。会場にはいると、30名近くの人たちが来ており、NCCの講演会としては大盛況と言えます。竹中正夫先生をはじめ、この道の大御所も来ておられました。
 50分も遅れて到着しながら、厚かましくも、質問を一番にしました。WCC(世界教会協議会)の長年の労苦や成果はわかるが、それが日本のキリスト教世界にはほとんど反映されていないのではないか、その原因はいったい何なのか、といった質問をしました。
 神田先生は、部分的にはエキュメニカル運動が進んでいる例を話してくださいました。しかし、全体としては、世界の動きにほとんど連動していないことは明白です。また、日本のキリスト教世界から世界に対する情報発信もほとんどありません。
 国際社会から、日本のキリスト教世界が孤立しがちである、というのは決して健全な状態とは言えません。この状況を打開していくために、本来、NCCなどが中心になってがんばらなければならないのですが、そのNCCも足下がぐらついている状況ですから、問題は複雑です。

 講演終了後、NCC宗教研究所の元所長の幸先生やRepp先生、神田先生、たまたまノルウェーからやってきていた20年以上前の所長のNotto Thelle先生らと食事をし、活発な議論を交わすことができました。

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2006.02.01

西本願寺の平和運動

 今日は午後から、平和学習会「平和な世界にするために――仏教の視点から」に参加しました。講師は西本願寺の僧侶である季平博昭氏。
 西本願寺は、門主を筆頭に、首相の靖国神社参拝反対や、イラクへの自衛隊派遣の反対を公に表明しています。そうした西本願寺の反戦平和運動を担ってきたのが、基幹運動と呼ばれるものです。季平氏はその基幹運動の中央相談員として、長らくその活動を担ってこられました。
 西本願寺の取り組みや基本姿勢については、すでに理解していましたが、やはり、直接に運動を担っている方から話しを聴くのは大事だと思いました。
 その上で、いくつか感じたことを記しておきたいと思います。

 西本願寺が、太平洋戦争中に護国の念仏を唱え、戦争を正当化していったことを反省し、今、非戦・平和運動に取り組んでいるのは頼もしいことですし、特に多くの門徒を有する教団としての社会的責任も大きいと言えます。仏教教団の半数以上は、政治的にはかなり保守寄りですから、その意味でも、西本願寺が果たす役割はあると思います。

 わたしが、話しを聴いていて気になったのは二点あります。一つは、平和を実現するために、まず「心の平和」が大事だとして、その例をたくさんあげられたことです。「心の平和」の大切さを否定するつもりはありませんが、この論理では、実際の生々しい政治の場や世俗社会において平和を実現できないどころか、下手をすると、かつて浄土真宗が犯した過ち、すなわち、悪しき「精神主義」を繰り返すことになりかねません。つまり、真俗二諦論を利用することによって、心の問題(信心)と社会生活(政治)を巧妙に区別し、操作してきた過去を、無意識のうちに繰り返しかねない危うさを感じました。
 こうしたことを考えるときに、わたしが思い出すのはラインホールド・ニーバーの『道徳的人間と非道徳的社会』(1932年)です。思い切って単純化してニーバーの意図を説明すると、人間は理性や宗教によって道徳的になり得るが、その延長上に道徳的社会が約束されるわけではない。社会は、人間の道徳性にかかわらず、非道徳的であり続ける。社会に潜む非道徳性をいかに抑制できるのか、という現実的な問いがここにあります。この著作は、当時、エポックメイキングな政治哲学書として広く読まれましたが、ニーバーの透徹したクリスチャン・リアリズムは、今なお、大きな問いを投げかけてくれているように思います。
 残念ながら、ニーバー並みのリアリズム感覚は現代のキリスト教リベラリズムの中では失われつつあります。それだけに、浄土真宗の立場から「心の平和」とストレートに言われると、どうしても引っかかってしまいます。

 もう一つわたしが気になったのは、この話を若者が聴いたらどう反応するだろうか、ということです。集まっておられる方々は平和運動に並々ならぬ関心を寄せる方々ですから、その方々がうなずくのは、ある意味、当然です。
 しかし、北朝鮮・中国脅威論に関心を示し、小泉首相の「戦争を二度としないために参拝している」という言葉に共感する若い世代に対し、浄土真宗からのメッセージは「空念仏」(失礼!)として響きはしないだろうかと感じました。
 ただ単に小泉批判、政府批判をするだけでは、問題は解決しないどころか、皮肉なことに、若者の右傾化を促進させることになるのではないかと危惧します。内面的な心の問題と、自らを取り巻く社会や国家との間を関係づける中間的な言葉や思考が欠落している中で、いきおい国家批判をしても、今の状況では十分な説得力を発揮しない、ということです。自分たちが住んでいる社会や「くに」に、どのようにフィットしながら、そこから益を受けたり、場合によっては貢献したりできるのか、という作法が示されないまま、今日に至ったとすれば、昨今の右傾化の原因の一端は、平和運動家を含むリベラル派知識人にもあるのではないのでしょうか。
 これは西本願寺に対する批判ではなく、わたし自身の反省の言葉です。

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2006.01.23

安中教会・新島学園で講演

060123a 1月22日(日)は安中教会で説教し、同日午後には「日本の近代化・ナショナリズムとキリスト教――ファンダメンタルを求める戦いの中で」と題して講演を行いました。この日の礼拝も講演会も新島襄召天記念として行われました。新島襄が亡くなって116年が経ちます。

 安中教会は1878年に新島襄や湯浅治郎らによって立てられた、群馬県では最初の教会です。教会堂は、外観も内部も、当時をしのばせる独特のたたずまいをもっています。何とも言い難い、落ち着いた魅力を漂わせた、すばらしい教会です。歴代の牧師の中には、海老名弾正や平和主義者として有名な柏木義円がいます。

060123b 当日、礼拝や講演に来てくださった方の中には、95歳になるという同志社女子大学卒業のご婦人もおられました。暖かい励ましの言葉をいただき、よき伝統を継承しなければならないとの思いを新たにしました。左の写真は、礼拝説教中の写真です。教会員の方が撮影してくださいました。

 1月23日(月)は、早朝から、新島学園中高で説教をし、その後、車で高崎まで移動して、新島学園短大で講演を行いました。

 この二日間は結構ハードスケジュールでしたが、多くの方々と久しぶりの再会を果たしたり、初めてお知り合いになれたりと、充実した時間となりました。

 新島学園短大には以前も講演で行ったことがあり、23日の講演会でも、6~7年前に来たことがあります、と語ったところ、わたしが前回来たのは、10年前であったと後で教えられました。10年なんてあっという間ですね。今年は、時の過ぎ去ることの早さを、しみじみと感じさせられる機会が多いです。

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2005.07.05

靖国問題

 今日、宗教学6「戦争・正義・平和―宗教多元社会の中で」の最後の授業を行いました。来週は香港にいるので、来週は休講にしています。
 この授業は「神学部オープンコース」の科目にもなっていますので、インターネット経由で、様々な方々に見ていただいています。わたしは、こういうことを推進しておきながら、実は、ディスプレイと90分向き合って講義や講演を視聴するという経験を一度もしたことがありません。ですから、毎回、きちんと見てくださっている方々からのメールをいただくと、動画配信をやっていてよかったと思うと同時に、その集中力に感心させられます。

 今日は日本の近代史、特にナショナリズムや大東亜共栄圏イデオロギー、聖戦、国家神道などについて触れました。しかし、最終回ということもあって時間の余裕がなかったため、「とにかく、これを読んでください」とお薦めしたのが、高橋哲哉『靖国問題』(筑摩新書)です。
 この本は、非常によく売れていると聞きますが、それが納得できるだけの内容があります。まず何と言っても、わかりやすい。第一次資料を丁寧に参照しながら、それを分かりやすく分析し、同時に、全体的な歴史的文脈の中に性格にその分析をマッピングしていきます。

 伝統的な神道が、どのようにして国家神道へと作り替えられていったのか。また、靖国の歴史を振り返ると、靖国と関係している戦争が決して太平洋戦争だけではないこと、日本の戦争責任を太平洋戦争だけに限定することは、問題を矮小化することになりかねないことを教えてくれます。キリスト教や仏教などが、国家神道に巻き込まれ、ナショナリズムに積極的に奉仕していった有様も描写されています。

 叙述内容については異論を唱えたくなる人もいることでしょう。しかし、その是非はともかくとして、靖国問題の論点を明晰に整理している点で、非常にすぐれた本であると、わたしは思います。

■Amazon, 高橋哲哉『靖国問題』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062327

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2005.07.03

軽井沢で講演

050703a 金曜日は1時間目から3時間目まで授業がある日なのですが、3時間目が終わってすぐ新幹線に乗って、軽井沢に向かいました。駅から徒歩10分ほどの軽井沢プリンスホテルに宿泊しているのですが、到着した時間が9時を回っていたので、あたりはお店も閉まり真っ暗で、暗い夜道をとぼとぼと歩いていきました。
 翌朝起きてはじめて、非常にすばらしいロケーションにあることがわかりました。右の写真は部屋から写した風景です。森に隣接する形でホテルがあります。

 土曜日の午後、社会経済生産性本部が主催するThe Challenge of Leadership Programのための講演をしました。このプログラムは、企業の幹部候補生のための集中プログラムのようなもので、その中に政治や科学や宗教の講演が組み込まれています。
 ちなみに、午前中は国際基督教大学の村上陽一郎先生が担当されました。その前には、佐々木毅氏(前東大総長)の講演もあったようで、かなりの一流どころの講師が集められています。講師の名前が並んでいる表を見ると、わたしのところでガクンとグレードダウンしているようで、申し訳ないな~と思いますが、わたしとしては精一杯やらせていただくしかありません。
 「宗教――グローバル化する世界における価値の衝突」というタイトルで話をしました。

050703b 参加者は遠くは岡山の方からも来られていましたが、いずれもシャープな問題意識を持った方ばかりで、90分の質疑応答もあっという間に時間が経ってしまいました。同じような話をしても、さすがに、若い学生さんと受け止め方の視点が違うな~と感じ、わたし自身、大いに刺激を受けることができました。(左の写真はショッピングセンター街の遠景)

 土曜日の昼食は、参加者の方々および村上先生とご一緒させていただいたのですが、村上先生に国際基督教大学のCOEプログラムの様子を聞くと、さすがに大変そうでした。COEの中間評価が6月に行われ、その結果が10月に新聞等でも公表されますが、それが出るまでは、ちょっと落ち着かないですね。果報は寝て待て、といきたいところですが、ゆっくり寝る余裕はなかなかないですね。(^_^;)

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