晩秋の綾部に想う
小原克博 On-Line に、「晩秋の綾部に想う」(「現代のことば」)(『京都新聞』2007年12月10日、夕刊)を追加しました。
大本訪問を含む綾部での出来事を短くまとめたものです。
「現代のことば」欄への寄稿は、2ヶ月に1回程度なのですが、油断しているとテーマ探しに四苦八苦することがあります。今回はタイミングよく、綾部訪問があったので助かりました。
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小原克博 On-Line に、「晩秋の綾部に想う」(「現代のことば」)(『京都新聞』2007年12月10日、夕刊)を追加しました。
大本訪問を含む綾部での出来事を短くまとめたものです。
「現代のことば」欄への寄稿は、2ヶ月に1回程度なのですが、油断しているとテーマ探しに四苦八苦することがあります。今回はタイミングよく、綾部訪問があったので助かりました。
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Ecumenical News International (Geneva)
の最新記事に、私のコメントが掲載されましたので紹介します。記事の最後の方にあります。
この記事は、最近、日本緊急医学界から出された「終末期医療に関するガイドライン」に関連する反応を扱っています。この種の記事が、国際社会から見て、
意味があるのかどうかよくわかりませんが、日本の現状が少しでも世界に伝えられるのは望ましいことだと思います。
■Ecumenical News International
http://www.eni.ch/featured/article.php?id=1350
■日本緊急医学界:終末期医療に関するガイドライン
http://www.jaam.jp/html/info/info-20070925.htm
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小原克博 On-Line に、「寒くて暑い世界の中で」(「現代のことば」)(『京都新聞』2007年10月17日、夕刊)を追加しました。
地球温暖化に核の冬や終末期医療を引っかけています。「終わり」との向き合い方をテーマにしています。
核の冬は、一応、過去のこととして書いていますが、核の危機は決して減少していないと思います。先日の国際ワークショップでも、近未来のテロリズムの最大の問題は、テロリストたちが核を手にしたときだ、という話題が出ました。これはきわめて現実的な問題です。
しかし、米国を筆頭に、核不拡散の課題への取り組みは低調で、本来もっとも一生懸命旗振り役を務めなければならない日本は、この分野に関して、十分な国際貢献をしてきたとは到底言えないでしょう。
今、米国の各地で原爆展が開かれています。原爆の悲劇を伝えることは、日本に託された重要な使命の一つです。しかし同時に、その課題をどうやって現代世界の課題、特に核不拡散の問題に接続していくのか、という視点がまだ十分ではないように思います。
地球温暖化だけでなく、核の危機もまた、人類の未来を脅かす進行中の課題であると言えるでしょう。
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小原克博 On-Line に、「世界平和の足場はどこに」(「現代のことば」)(『京都新聞』2007年8月20日、夕刊)を追加しました。
先日の比叡山宗教サミットに関する感想・期待と、私のドイツでのヒロシマ体験をミックスしたような内容になっています。
比叡山宗教サミットに対しては、ちょっぴり辛口になっているかもしれませんが、これも期待の裏返しということで、ご勘弁を。
例年なら、お盆を過ぎて「残暑見舞い」の時候なのでしょうけれど、まだまだ「暑中」という日々が続いていますね。雨が降って、少し暑さが和らいでいるようではありますが。
今年の夏は、原稿執筆に追われまくっています。比較的大きな原稿を複数抱え込んでしまい、気の重い日々を送っています。(T_T)
ぼやいても仕方ありませんので、うまく気分転換しながら、峠を越えていきたいと思っています。
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朝日新聞(関西版)の8月17日夕刊に比叡山宗教サミットに関する比較的詳細な記事が掲載されましたので、紹介します。
■asahi.com:世界宗教者平和の祈りの集い
http://www.asahi.com/kansai/kokoro/OSK200708170034.html
私のコメントもちょこんと登場しています。それを含む段落を引用します。
しかし一方で、課題を指摘する向きもある。小原克博・同志社大教授(宗教学)は「リベラルで対話のしやすい人たちだけが集まっているのでは。対話を拒否する原理主義的な勢力や、政治的に対立し、実際に紛争にかかわっている教団にも参加を呼びかける必要がある」と語る。大会の討議の中でも、「ここにいる我々はみんな戦争反対という同じ意見。ならば今さら議論して何になるのか。必要なのは、この部屋の外にいる、異なる考えを持つ人たちに働きかけ、紛争を現実に解決することだ」(キリスト教系団体幹部)という反省の弁も聞かれた。
いつもながら、イチャモンをつける役回りです。(^_^;) きちんとポジティブな面も認識していますので、関係者の方々、気を悪くなさらないように!(って、手遅れか・・・)
20年も続けているのは本当に立派なことなのですから。
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小原克博 On-Line に、「道徳は教えられるのか?」(「現代のことば」)(『京都新聞』2007年6月21日、夕刊)を追加しました。
道徳教育が「徳育」として科目化されるようですが(教育再生会議での審議)、それに対する批評となっています。
新島襄が「徳育」を同志社教育の基本とした、ということを授業で教えていた頃に、ちょうどこの政府主導の「徳育」の話しに出くわしました。両者の違いについて、今後、きちんと整理していく必要があると考えています。
新島襄は官立の教育に対するある種のアンチテーゼとして「私学」同志社を構想しました。同様の課題が、時代を超えて、今新たに問われているような気がします。
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小原克博 On-Line に「平和憲法ファンダメンタリストとして」(「現代のことば」)(『京都新聞』2007年4月25日、夕刊)を追加しました。
昨今の改憲議論をある程度意識して書いたものです。
集団的自衛権の行使など、これまで議論の俎上にすら上がらなかったテーマが、急速に現実味を帯びてくる時代となりましたので、平和主義の「根っこ」の部分を繰り返し考えておくことが大切だと思います。
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小原克博 On-Line に書評『折れない葦』(『京都新聞』2007年4月8日、朝刊)を追加しました。
この本は医療と福祉それぞれの問題、そして、両者の狭間で起こっている問題を丹念な取材を通じて描き出しており、書評にも記しているように、おすすめです。
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小原克博 On-Line に「ウィキな若者たちは納豆を食べたか」(「現代のことば」)(『京都新聞』2007年2月26日、夕刊)を追加しました。
秋学期科目の学期末レポートを読んでいる中で、ふと感じたことをまとめた文章です。
朝日新聞の次の記事もぜひ合わせて読んでみてください。これもウィキペディア関係の記事で、期せずして、同様の問題がアメリカの大学にもあることを知ることができました。
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小原克博 On-Line に「ウィンドウズ・ビスタ導入――トラブル防ぐ手立ては?」(『日本経済新聞』2007年2月19日、夕刊)を追加しました。
こういう類の記事の冒頭で、いきなり紹介されているのが名誉なことなのか不名誉なことなのか微妙ですが、いずれにせよ、トラブルの事例として登場しています。
そもそもは、このブログの2月2日の記事「Vistaの問題は何か?」に日経の記者が注目したことによります。私のような非専門家の愚痴のような記事にまでサーチが及んでいるのには驚かされましたが、なぜか担当記者の関心に引っかかり、電話取材を受けました。
電話取材の際には、けっこう玄人っぽい分析を述べたつもりだったのですが、この日経記事を読む限りでは、素人ユーザーがいきなりトラブルに巻き込まれて、泡を食っているという感じです。(^_^;)
次の記事にもあるように、やはりアップデイトの際のトラブルはかなり広く見られるようです。新しいOSにバグはつきものですし、それを責め立てるつもりはありませんが、致命的な不具合もあるようですから、要注意です。
http://it.nikkei.co.jp/pc/column/tamura.aspx?n=MMIT0w000001022007
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小原克博 On-Line に、「宗教の危機――激動の時代こそ不変を」(「9条が揺らぐ時代――憲法公布60年」)(『京都新聞』2007年1月18日、朝刊)を追加しました。
インタビューは、1ヶ月ほど前に行われたので、何を話したのか、今となってはほとんどおぼえていません。しかし、記事を読み返すと、主なポイントはうまくまとめてくださっていると思いました。
表面的に読むと、抽象的にしか平和について語ることのできない既成教団に対する批判をしているように見えますが、本意は、宗教ならではの固有の働きをしてほしいというエールを送っています。
結論的には、9条を守れ、ということになっています。状況依存的な条文は、積極的に変更を考えてもよいと思います。しかし、防衛庁が防衛省に格上げされるような時代には、9条に関しては、もっと保守的であった方がよいでしょう。
「平和主義」を日本の基本原理とし続けるためには、安易にいじるべきではないと考えています。その点では、私はファンダメンタリストだと思います。
関心ある方は、ご一読ください。
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小原克博 On-Line に「恐怖が心に迫るとき」(「現代のことば」)(『京都新聞』2006年12月19日、夕刊)を掲載しました。
原稿を送ったのは、3週間近く前なので、ちょうどその頃に話題になっていた「教育再生会議」のいじめ対策について言及しています。この間、教育基本法の改正もありましたので、思いは複雑です。
ご一読ください。
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小原克博 On-Line に"Korea-Japan dialogue starts for Asian theology of reconciliation," Ecumenical News International, 29 November 2006 を追加しました。
先日行われた「日韓神学フォーラム」について ENI が記事として配信してくれました。限られた字数の中で、手際よくまとめてくださっています。
ENIについては次のページをご覧ください。
■Ecumenical News International
http://www.eni.ch/
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山折哲雄著『ブッダは、なぜ子を捨てたか』の書評を、小原克博 On-Line に掲載しました。
ちなみに、今月号の『論座』(朝日新聞社)に、特集「葬式を変えよう!」があり、そこで山折先生が上田紀行氏と対談しています。かなり大胆に山折先生の持論が展開されており、これも一読の価値があります。
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先日の世界宗教者平和会議世界大会などをテーマにした『読売新聞』の記事を小原克博 On-Line に掲載しました。
私のコメントは、最後の方に出てきています。
「一方で厳しい意見もある」という前振りの後に出てきていますので、ちょっと悪役っぽい割り当てになっています。
大規模な宗教間対話の歴史的経緯を素描してくれている、よい記事だと思います(問題点に対するツッコミは遠慮がちですが・・・)。
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小原克博 On-Line に「蝉時雨――「時」の変奏曲」(「現代のことば」)(『京都新聞』2006年8月30日、夕刊)を追加しました。
「せみしぐれ」という音の響きが私は好きです。セミの声の中では、ヒグラシにもっとも心惹かれます。虫の声に優劣はないとはいえ、ヒグラシの鳴き声には情緒深い「美」を感じます。
そのようにセミの鳴き声を聞きながら、ふと頭をよぎったあれこれを記した一文です。ご一読ください。
私がけっこうな虫好きであることも、わかっていただけると思います。
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8月28日、「しが廃棄物問題・住民ネットワーク」の代表として、嘉田・滋賀県知事と会見しました。
このことはNHKの夕方のニュースで放送され、また、いくつかの新聞での紹介されたようです。とりあえず、ウェブ上で見つかった関連記事を下につけておきます。
「もったいない」をキャッチフレーズに終わらせないで、内実のある循環型社会の礎にしていく必要があります。しかし、その道のりは平坦なものではありません。ねばり強く取り組んでいく必要のあることを、今回の知事との会見でも感じさせられました。
■『京都新聞』8月29日記事
知事に凍結具体策申し入れ
市民団体、大津・廃棄物焼却施設計画で
滋賀県が大津市栗原に建設を計画している廃棄物焼却施設について、建設に反対する市民団体「しが廃棄物問題・住民ネットワーク」(小原克博代表)のメンバー7人が28日、建設凍結を掲げる嘉田由紀子知事と面会し、住民に対して凍結への具体策を示すよう申し入れた。
小原代表が「適切な時期に住民と直接対話し、凍結に向けたプロセスを示してほしい」と求めるとともに、「知事の凍結方針は全面的に応援する。手伝いたい」と嘉田知事を激励した。
嘉田知事は「新幹線新駅問題などが落ち着いたら対話の場を持ちたい」と答え、廃棄物行政の在り方について「ごみゼロ社会に向け、県民も気運を高めてほしい。県民から直接、(関連の)予算要求があっても良い」と述べた、という。
■『毎日新聞』8月29日記事
もったいない県政:攻防 ごみ焼却施設計画 住民団体、凍結へ支持姿勢伝える /滋賀
◇旧志賀町住民団体、県庁で知事と会談
嘉田由紀子知事が凍結の方針を掲げている大規模ごみ焼却施設の建設予定地・旧志賀町(現大津市)の住民団体「しが廃棄物問題・住民ネットワーク」のメンバーなど7人が28日、大津市の県庁を訪れ、嘉田知事と会談した。
この日は住民側から特に要望は行わず、知事に支持姿勢を伝えた。その上で、建設凍結の実現に向け、住民側から具体的にどのような助力ができるかを尋ねた。住民側によると、嘉田知事は、循環型社会構築に向けた啓発活動や、自治会単位でのごみ減量の実践と、それに伴うデータ収集などの方法を提案したという。
住民側はまた、凍結に向けた具体的なプロセスについても質問したが、知事は「まずはこれまでの報告書の内容などを再検討する作業部会を作る必要がある」と回答したという。
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小泉首相、ついに8月15日の靖国参拝を実行しました。心の問題、公約の実現、非戦の誓い、等々、どのように説明しようとも、東アジアに対しては挑発的な行為としてしか映らないでしょう。そういうことを気にすること自体が間違っている、という人もいますが、ここまで靖国参拝を外交問題化してしまった首相の責任は小さくないと思います。幕引きも、挑発的パフォーマンスで締めくくられたということですね。
靖国問題解決のためのいくつかの代替案が自民党政治家から出ていますが、中にはかなり危険なものもあります。実現しそうにないとはいえ、靖国神社の非宗教法人化は、靖国の特別視(=神聖視)につながり、戦前に逆戻りするような考えに思えてなりません。
8月12日の『京都新聞』朝刊が2面ぶち抜きで靖国特集をしました。政教分離・A級戦犯・中韓外交という三つのテーマに分けて、6名の専門家が論じる、という設定でした。
私は政教分離に関して取材を受けました。私と対になっているのは、靖国参拝大賛成の所 功教授(京都産業大学教授)でした。正反対の意見を並べるのは、読者にとってはおもしろいと思います。
ちなみに、A級戦犯のテーマを扱った一人は村田晃嗣先生(同志社大学)でした。彼はタカ派として知られていますが、今回のテーマでは靖国参拝反対で論を展開していました。
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引き続き、ダ・ヴィンチ・コード講演会についての「毎日新聞」記事を紹介します。
講演の一部内容をうまくまとめてくれています。
でも、さすがにダ・ヴィンチ・コードのブームもすでに引き潮気味であると思います。映画の興行成績はどうだったんでしょうね。
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『リバイバル新聞』7月9日号の第1面に、ダ・ヴィンチ・コード講演会の様子が紹介されました。「リベラルと保守が対話」が見出しとなっています。
紹介文の中には、私の意図を若干取り違えたような表現もありますが、私のような立場の人間が、通常、話題にされないような新聞で記事にされたというのは、ありがたいことです。
ただでさえ少数のクリスチャンの間で、リベラルや保守といった立場にしがみついているのは、あまり生産的ではありません。何か橋渡し的な役割を果たしていくことができればと願っています。
まずは、記事をご一読ください。
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小原克博 On-Lineに最近の新聞記事を二つ掲載しました。
「原理主義とは? 大学教員らがシンポ」(『朝日新聞』2006年6月30日、夕刊)
「象徴の解釈」(「現代のことば」)(『京都新聞』2006年7月3日、夕刊)
最初のものは、このBLOGでも紹介した「宗教と社会」学会での公開シンポジウムについての記事です。
二番目は『京都新聞』の「現代のことば」というコーナーに寄稿した記事です。このコーナーには2ヶ月に1回のペースで寄稿することになります。
言いたいことをぐいっと短いセンテンスに圧縮した、その意味ではちょっと難解な箇所も一部ありますが、全体的にはわかりやすいのではないかと思っています。
ご一読ください。
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小原克博 On-Line の「新聞・雑誌記事等」の「新聞取材記事」に「国際社会の「宗教間対話」糸口さぐる」(『朝日新聞』2006年6月20日、夕刊)を追加しました。
「心の研究最前線」というコーナーの記事です。
私の研究課題だけでなく、大学院のゼミや「京都・宗教系大学院連合」についても触れられています。
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先日の朝日新聞に「ユダ、イエスを裏切らず」というタイトルの記事がありました。微妙に文章は違いますが、ほとんど同趣旨の記事をasahi.comで読むことができます(下記リンク)。
放射性同位体による年代測定により、紀元後220~340年に書かれたと判断された「ユダの福音書」の約8割が解読された、というのはかなり興味深いことです。
ただし、この記事にも少し説明があるように、「ユダの福音書」は当時地中海世界で流行したグノーシス思想の影響を受けて書かれており、「ユダの福音書」には、グノーシス思想から見たイエス像・ユダ像そして救済理解が記されていると考えたよいでしょう。したがって、「ユダの福音書」の解読結果に従って、ユダこそが救済を完成させる役目を負ったもっとも重要な弟子であった、ということは簡単にはできません。
しかし、「ユダの福音書」の解読を待つまでもなく、これまでも数々のイエス伝(小説)で、ユダを裏切り者としてではなく、特別なミッションをもったものとして描くこと話されてきました。同じように、マグダラのマリアも、後世の人々のイマジネーションを激しく刺激した人物の一人です。
5月に映画が公開される「ダ・ヴィンチ・コード」でも、マグダラのマリアは想像力豊かに描かれています。このあたりが、聖書に対する冒涜であるとして、目下、保守派の教会が「ダ・ヴィンチ・コード」に対する反対運動を展開しており、こうした21世紀的反応も興味深いものがあります。
なにはともあれ、リンク切れになる前に下記の記事をご覧ください。
■ユダは裏切り者じゃない?
http://www.asahi.com/international/update/0407/006.html
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小原克博On-Lineに「キリスト新聞への期待」(「キリスト新聞への提言」)(『キリスト新聞社』2006年3月4日)を掲載しました。
少々辛口ですが、ただ批判をしているわけではなく、本心からの期待を記しています。
実は、普段、キリスト新聞を読むことはほとんどありません。そういう人間が頻繁に手に取るような紙面を作るには、どうすべきなのかを、私なりの視点から書いた次第です。
海外には、かなりすぐれたキリスト教系メディアが存在しています。Christian Science Monitor などはその代表的存在です。Christian Science Monitorは、9.11以降、右傾化路線をたどっているという問題があるとはいえ、キリスト教世界だけでなく、一般社会からも高く評価されてきたメディアです。
キリスト新聞にChristian Science Monitor並になれと言うつもりは毛頭ありませんが、理想は高く掲げ、創刊60周年を迎えていただきたいと願っています。
■キリスト新聞
http://www.kirishin.com/
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少し前になりますが、読売新聞(大阪版)に「日本のキリスト教徒 増えぬ理由」という記事がありました。リンク先は消滅する可能性がありますので、関心のある方は早めに読まれることをお勧めします。
ここでは、日本におけるキリスト教の土着化を論じたマリンズ氏の近著『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』が紹介されています。これは、欧米宣教師に由来する教派ではなく、日本生まれの教派に焦点を当てたユニークな本です。
マリンズ氏が言うように、「土着化」したからといって、キリスト教が広まるわけではないことが、よくわかります。
もう一つ、日本ではキリスト教はインテリ層に入ったから広まらなかったのだ、という古屋氏の見解が紹介されています。古屋氏は、他のところでも、キリスト教の社会的影響力を増すためには、人口の10パーセントは必要だと語ります。量(大衆化)も大事だ、ということでしょう。
これに似た議論を、最近、韓国から来ているキム・ヒョップヤン先生としました。彼は、日本のクリスチャンは人数は少なくても、昔から、知的影響力を社会に及ぼしてきたではないか、というのです。わたしは、昔はそうだったかもしれないが、今は違う、と答えました。
社会の問題を先んじて洞察したり、今ある問題を深くえぐり出すような知性、鋭利な刃物名ような知性は、今の日本のキリスト教世界に継承されているとは思えないからです。
したがって、質すらも十分に危ういのに、量的拡大が必要だ、という古屋氏のような主張には簡単にはうなずくことができません。もちろん、少数精鋭がよい、ということを言いたいわけではありません。ただ、かつてあった貴重な知的財産を食いつぶしてきたのではないか、という不安と反省とがあります。
記事中、「韓国では今や人口の4分の1、中国も5~10%がキリスト教徒といわれる。「韓国や中国は、まず庶民から広がっていったために着実に増えている」」とあります。
しかし歴史は、それほど単純ではありません。むしろ、なぜ庶民がキリスト教を必要としたのかを考えるべきでしょう。中国のクリスチャン人口に関しては諸説があります。10%もよく聞く数字ではありますが、これは多く見積もりすぎだと思います。日本の人口に匹敵する1億人ものクリスチャンが中国にいるとすれば、社会の様子は、もっと違った風に見えるはずですが、まだまだ政府により弾圧される対象です。5%(これでも十分多いですが)に達するかどうか、というところではないでしょうか(裏付け根拠なし)。
アメリカだけでなく、日本でもリベラル派の教会の落ち込みが激しいですが、原因はかなり似たところにあります。これについては他人事ではないので、いろいろな角度から考えてきましたが、このBLOGでも、その思考の一端を少しずつ紹介していければと思っています。
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Ecumenical News International (01/16)に、「京都・宗教系大学院連合」に関する記事が掲載されました。ENIの掲載許可を取って、小原克博 On-Line に記事全文を掲載いたしましたので、ご覧ください。よくまとまった、わかりやすい記事です。
ENIは世界教会協議会(WCC)などを基盤に運営され、ジュネーブに基盤を置いて世界に教会や宗教関係のニュースを配信しているメディアです。
配信記事の要約版は、無料で見る(受け取る)ことができます。関心ある方はENIのページをご覧ください。
■"Japan interfaith university project may herald Buddhist dialogue", ENI Jan 16, 2006
■Ecumenical News International
http://www.eni.ch/
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小原克博 On-Lineに広島女児殺害事件に関連してコメントした記事を二つ掲載しました。
「ピサロ・ヤギ容疑者「悪魔が自分を動かした」」(『読売新聞』2005年12月2日、朝刊)
「広島女児殺害」(『朝日新聞』2005年12月6日、朝刊)
読売新聞の方はまだ現物を手にしていないので、リンクを張っています。
どちらも、ごく小さなコメントです。朝日の方は、最初はもう少し長くなる予定で、原稿の確認もしていたのですが、いろいろ事件が続き、紙面の関係で、大幅に縮小されました。仕方ないですね。
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毎日新聞に掲載された記事「京都を世界的な宗教研究の拠点に」(11月23日、朝刊)を小原克博 On-Line に掲載しました。
京都・宗教系大学院連合に関する記事ですが、コンパクトに要点がまとまっています。これまでメンバーとなっていた6大学に加え、花園大学も新規に加わることも記されています。
来年4月から開始される単位互換制度に関して、目下、細部の調整をしているところですが、やはり最初は何かと苦労があります。苦労の末、できあがった制度を、学生が最大限活用してくれることを願っています。
また研究基盤が整ってくれば、そこで得られた成果を一般社会に還元できる機会を増やしていきたいと、個人的には思っています。
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昨晩11時過ぎに、読売新聞から電話があり、広島の女児殺害事件に関するコメントを求められました。2日朝刊に掲載されたようです(現物は見ていませんが)。なお、学生の話によると、よみうりテレビの朝の番組で、わたしのコメントが取り上げられていたとのこと。
別に大したことは言っていません。「悪魔が体を動かした」云々の供述に関してです。「悪魔」という言葉を聞くと、非常に大げさに聞こえるが、日本語で「魔が差した」というのと大差ない、という趣旨のことをコメントしました。つまり、容疑者は計画的犯行でないことを主張するために「悪魔」を引き合いに出しているに過ぎないのであって、他の猟奇的事件と異なり、容疑者が独自の妄想的精神世界をもっていたわけではない。カトリック世界では、ごく普通に「悪魔」という言葉を使うので、大げさに扱う必要はない、といった感じで答えました。
新聞には、もちろん、もっと簡潔に記されていると思いますが。
ただ各紙とも、「悪魔が体を動かした」をかなり大きな見出しとして使っていますね。マスコミ好みのキャッチーな表現なので強調したくなるのもわかるのですが、わたしは、その言葉自体にさほど大きな意味はないと思います。そういう表現によって隠そうとしている犯罪心理の深層部分こそ、これから明らかにされるべきでしょう。
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昨日の朝日新聞に鶴見俊輔氏のインタビュー記事が掲載されていました。「戦後60年を生きる」というテーマのもと、鶴見氏の戦争体験や原爆批判などが紹介されていました。もともと、彼の考え方には共感するところが多いのですが、今回、目にとまったのは、「国家」に対置する「くに」を構想している次のような箇所でした。
出雲風土記や万葉集に出てくる「くに」です。「おくにはどこですか」というときの、そのあたり一円を指す「くに」。そこに生きて死んだ人々の記憶が息づく「くに」。国家じゃない。グローバリズムとは正反対のローカリズムです。風土記の「くに」から世界を再編していくことに今後の希望があるんじゃないかな。
国家概念を相対化する視点として「くに」を持ってくるところに、鶴見氏の隻眼があると感じました。
国家主義、ナショナリズムへの批判は、(わたしを含め)リベラルな立場の人が意気揚々とやってきたことですが、代替案を具体的に示さなかったこの種の批判が、結果的に、現在の日本社会における全体的な右傾化傾向を作り出してきたのではないかと思っています。
リベラリストとしての鋭角的な社会批判が、皮肉にも、ナショナリズムへの渇望や右傾化傾向を生み出してしまってきたとするなら、その責任の一端を負わなければならないと最近、感じていたところでした。それだけに、鶴見氏の指摘は、小さな提案とはいえ、わたしには触発する素材となりました。
この問題については、引き続き、考えていきたいと思います。
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小原克博 On-Lineに「宗教間対話 京都モデルは可能か」(『京都新聞』2005年11月14日、朝刊)を掲載しました。
この記事では、既存の宗教間対話やモデル提示に対し批判的に書いていますが、歴史的な積み重ねがまったく無駄であるとは思いません。ただ、対話好きの人たちが対話の前提にしてきた「宗教多元主義」の考え方は、現実社会ではうまく機能していないように思われます。
宗教多元主義の立場からは、一般的に、どの宗教も平等であり、それゆえ、どの宗教に対しても寛容でなければならないとされます。
これが実社会で運用される際には(たとえば移民に対するホスト社会の対応)、イギリスやオランダに代表される「多文化主義」になったり、フランスに代表される「同化主義」になったりします。ドイツは、両者の中間あたりでしょう。
異文化や他宗教に対し、各国とも独自の対応をしてきたことは事実ですが、ロンドンでの同時テロ事件によって、イギリスの多文化主義政策は根底から揺らいでおり、また、先日のフランスでの暴動により、同国の同化主義政策の矛盾が顕在化してきています。
日本も対岸の火事として眺めることはできないでしょう。日本でよく語られる多文化共生は、比較的お気楽な多文化主義に基づいていますが、実際にそれを実践するときに引き受けなければならない思想的・政策的課題に対しては、まだまだ無頓着です。
少子高齢化が本格的に進行し、外国人労働者が大量に入ってきてから考え始めるのでは遅いでしょう。
上述の新聞記事では、こうした点ついては触れる余裕がありませんでしたが、こうした点を頭によぎらせながら書きました。
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昨日紹介した記事内容に関連して、すでにYokoさんがコメントで指摘してくださっていますが、メルケル首相誕生、CDU/CSUとSPDの大連立で決着がつきそうです。
初の女性首相、初の旧東ドイツ出身の首相ということで話題性はありますが、ドイツ新政権はどうなることやら。
二大政党の両方が過半数をとることができず、少数野党に票が流れたということは、両党とも十分な国民的支持を得ることができなかったことを意味しています。にもかかわらず、二大政党で閣僚を山分けする、というのは考えてみれば変な話ですが、政治の世界ではやむを得ません。
これまでは緑の党などの小さな党の意見も連立政権の中で反映されてきましたが、今後、新たな大連立の中で、少数野党の声が反映されるのかどうかは、かなり怪しくなるでしょう。
いずれにせよ、政策的には新政権はCDU/CSUとSPDそれぞれの主張の中道をいくことになるのではないかと思います。しかし、サッチャー元英国首相にたとえられるメルケル氏のことですから、首相になって豪腕ぶりを発揮するのかもしれません。
トルコのEU加盟問題に関しては、両党は完全に対立していましたから、今後、メルケル首相のもと、どういう道をたどるのか目が離せません。
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『朝日新聞』10月7日夕刊に掲載された記事を小原克博 On-Line にアップしました。まずはご一読ください。
ドイツ総選挙とトルコEU加盟問題の両方を扱った内容なのですが、この内容に落ち着くまで紆余曲折がありました。
実は、記事の元となる原稿は、ドイツ総選挙前(9月中旬)にはできあがっていました。そのときには、CDU・CSU勝利、メルケル首相誕生を想定して書いたのですが(どのニュース・ソースも似たような予想をしていました)、ふたを開けてみると、予想を裏切る混戦模様となり、原稿を書き換えざるを得なくなりました。
選挙結果にあわせて書き直し、掲載のタイミングをうかがっている間に、連立の行方がますます混迷の相を深め、それに加えて、トルコ加盟交渉へのオーストリア乱入などがあって、再度、書き直すことになりました。
総選挙後、これほどドイツやEUを取り巻く状況が流動化するとは思いもしていませんでした。担当記者と連日のように情報交換し、最新のニュースに目をこらして原稿の書き直しを続けたのは大変でしたが、結果的によい勉強になりました。
■「独総選挙に見るトルコEU加盟問題」(『朝日新聞』10/7)
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先日、Yokoさんがコメントで紹介してくださっていた読売新聞の記事が送られてきましたので、小原克博 On-Line に掲載しました。
短いインタビュー記事ですが、ご覧ください。
最期の方に、次のような文章があります。
「・・・日本人は戦争の悲惨さから反戦を訴えるが、伝わりにくい。正戦論を踏まえて戦争を議論していくことが有効ではないか」と話す。平和=善、戦争=悪という二分法は、それこそ善悪二元論に陥る危険をはらむ。
ここの部分だけを読むと、わたしがあたかも正戦論者のようですね。(^_^;) もちろん、そのような意味ではありませんので、誤解なく。
変わりゆく状況を視野に入れないで、ただ平和を一本調子で主張し、紛争の当事者を傍観者的立場から糾弾することは、現状を何も変えはしない、ということを言いたかったのです。
こういうやり方では、結局、自分を善の高見に置くことになってしまうので、皮肉なことに、自己絶対化の危険に陥りやすくなります。日本の反戦平和主義が、どのように機能しているのかを、反省的に見直すべきだということを記者の方には語りました。
ちなみに、この記事は読売新聞の「宗教はいま」というコーナーに、アメリカを支える右派「神学」という大きな見出しのもとに掲載されていました。もう一人のインタビュー対象者は、関西学院大学の栗林輝男先生でした。
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少し前に掲載されたのですが、スキャンができましたので『中外日報』に掲載された記事をアップしておきました(2回分)。
『中外日報』は仏教界ではかなり幅広く読まれている宗教系新聞です。
わたしがかかわっている21世紀COEプログラムについてのインタビュー記事です。
比較的よくまとまっていると思いますし、また、わたしの「意欲」も感じられると思います。(^_^;)
「いずれ国家レベルの政策提言を」なんていう理想も語られています。
■「21世紀COE 知の最前線――同志社大学のプログラム」
http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/essay.nsf/
504ca249c786e20f85256284006da7ab/d9d056c0fc8e2d6f49256fe700504321?OpenDocument
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『京都新聞』3月19日、夕刊に掲載された記事を小原克博 On-Lineに追加しました。「こころ・宗教」というコーナーに、宗教倫理学会のメンバー3名の「地下鉄サリン事件」に関する見解が紹介され、その内の一つです。
明日から、IAHR東京大会に出席します。明日はコメンテーターの役が当たっています。
IAHRの様子は、追って、紹介したいと思います。
■「特異な価値観受け入れを」、『京都新聞』3月19日、夕刊
http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/essay.nsf/
504ca249c786e20f85256284006da7ab/0a2073d0f20f7af049256fcf004fa3d5?OpenDocument
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