「宗教多元主義モデルに対する批判的考察」
小原克博 On-Line に「宗教多元主義モデルに対する批判的考察――「排他主義」と「包括主義」の再考」(『基督教研究』第69巻第2号)を追加しました。
400字詰め原稿用紙換算で60枚ほどある、ちょっと長めの論文です。実際に書き出すと文字数が足りなくて、規定の文字数に収めるのに苦労しました。
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小原克博 On-Line に「宗教多元主義モデルに対する批判的考察――「排他主義」と「包括主義」の再考」(『基督教研究』第69巻第2号)を追加しました。
400字詰め原稿用紙換算で60枚ほどある、ちょっと長めの論文です。実際に書き出すと文字数が足りなくて、規定の文字数に収めるのに苦労しました。
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小原克博 On-Line に「キリスト教は環境問題に対して何ができるのか?」(『福音と世界』2008年1月号)を追加しました。
近年のアメリカ福音派における動向変化を紹介したものとしては、おそらく、日本ではじめてのものになると思います。
これからの期待と責任の気持ちを込めて、「キリスト教は環境問題に対して何ができたのか?」という問いに対しては、「ほとんど何もできていない」と答えています。詳細は、上記の論考をご覧ください。
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小原克博 On-Line に「生命倫理に対し宗教は何ができるのか――倫理委員会の実際を踏まえて」(『大法輪』2007年12月号)を掲載しました。『大法輪』は、仏教の総合雑誌としては、もっともよく知られているものだと思います。
仏教関係の方々はまだ生命倫理や医療倫理委員会にあまりなじみがないということでしたので、比較的基本的なところから、全体像をつかむような論旨になっています。
今後、宗教の違いを超えて、取り組むべき共通の課題のために知恵を寄せ合うような場ができていけばよいと思います。宗教別に内向きの議論を続けても、あまり生産的ではありませんので。
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小原克博 On-Line に「「宗教」概念の形成――近代から見える現代の課題」(『中央評論』59巻3号)を追加しました。中央大学が発行する総合誌です。今回の号では「宗教研究の現在」という特集が組まれています。
また、現在、店頭に並んでいる『大法輪』12月号に「生命倫理に対し宗教は何ができるか」を寄稿しています。『大法輪』は仏教系総合誌として有名ですが、8万部出ているそうです。キリスト教系の雑誌とは、文字通り桁が違います。こういう部数を見ると、仏教徒が日本宗教のマジョリティであることを痛感させられます。
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佐藤優『国家と神とマルクス』をざっと読みました。「絶対的なものはある、ただし、それは複数ある」と語ってきた著者にとって並存する絶対的な3項、すなわち、日本国家、キリスト教、マルクスが書名の背後に意図されています。
ただし、本文でこれらががっちと展開されているわけではありません。これまで、佐藤氏が『月刊日本』や『情況』という(おそらく一般読者にはあまり縁のない)雑誌での対談や原稿をまとめたものです。
獄中での読書体験記は興味深く、半端な読書力でないことがわかります。
「私にとって小菅(東京拘置所)の独房は、かつて得た中で、同志社大学神学館二階の神学部図書室と並ぶ、読書にとって最高の環境だった。」
こういう表現にも見られるように、神学部のことがかなり頻繁に出てきますし、また、佐藤氏のキリスト教信仰がストレートに語られています。
ちなみに、神学部図書室は今年の夏、大改装を予定しています。壁をいくつかぶちこわし、かなり大きなスペースを確保し、さらに良好な読書環境、研究環境を提供する予定です。
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小原克博 On-Line に、「宗教は人類最古の広報エージェント――古くて新しい宗教広報の現場」(『PRIR(プリール)』(宣伝会議)2007年7月号)を追加しました。
6月1日発売の月刊誌です。関心ある方は書店にてお買い求めください。
到着したばかりの紙面を開くと、イスラームは大塚和夫(東京外大)、キリスト教は芦名定道(京大)、仏教は島薗進(東大)、神道は石井研士(國學院)等々、といった絢爛豪華な執筆陣で、驚きました。
私の雑文など、こっそりと入れておいて欲しかったのですが、なぜか、特集記事のトップに来ていました。
広報の専門誌が宗教を特集するというのは、きわめて珍しいことだと思いますが、全体としては、おもしろいものに仕上がっています。
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本や雑誌の紹介が続いていますので、ついでにもう一冊。
目下、フランスで大統領選挙の開票作業が進んでいますが、フランスの政教分離に関するものとして、次の本はおすすめです。
工藤庸子『宗教 vs. 国家――フランス〈政教分離〉と市民の誕生』講談社、2007年(講談社現代新書 1874)。
私が担当している大学院ゼミの一つで、今学期、政教分離を扱っているのですが、そのリーディング・アサインメントとしてこの本を指定しました。
政教分離の多様性を考えるとき、厳格な分離の典型例としてフランス型政教分離があげられますが、その成立経緯についてわかりやすく論述した本はあまり多くありません。
フランス革命によって、共和国の「ライシテ」(非宗教)の原則が一気にできあがったわけでなく、国家による宗教統制などの紆余曲折を経て、ライシテが選び取られていった経緯を上記の本は教えてくれています。
単に、宗教(カトリック) vs. 非宗教 という二項対立でライシテを理解することが間違いであること学ぶことができるでしょう。
20世紀前半までが叙述の対象ですが、それをもとにして、スカーフ事件にも言及しています。
ヨーロッパの今後を考える上で、フランスの状況からは目が離せません。
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今月号の『論座』(6月号)は「日本国憲法」を特集していたので買ったのですが、他にも興味深い記事がたくさんあり、買い得感がありました。
加藤周一氏と樋口陽一氏の対談は、いろいろと考えさせられるポイントを含んでいます。
大学院生には「大学院は出たけれど――夢を追い続ける「高学歴就職難民」2万人」を読んで欲しいです。背筋の凍るような現実も認識した上で、勉強にいそしんだ方がよいでしょう。
「私流 本の整理法」には、藁にもすがる思いで目を通しましたが、あまり役には立ちませんでした。しかし、皆苦労している有様を知ることは慰めになります。
恥ずかしながら、本の整理がなかなかできません。私の研究室に来た人は、あちこちに本が積み上げられているのを目の当たりにすることになりますが、あの山がなかなかなくならない! ぐらぐらして、くずれかけている山も増えてきたので、何とかしなければと思っているのですが・・・
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まだ読み終わってはいないのですが、読み応えのある本を一冊紹介します。
ワンガリ・マータイ『UNBOWEDへこたれない――ワンガリ・マータイ自伝』(小池百合子 訳)、小学館、2007年。
ノーベル平和賞を受賞した、あのマータイさんの自伝です。イギリスによるケニアの植民地化の歴史から始まり、自らの人生へとつなげていきます。歴史的な叙述がしっかりしており、マータイさんの半生を軸にして、20世紀という時代を振り返ることができます。
入植者たちによってケニアは土着の生活様式を大きく変えられていきますが、キリスト教宣教師たちによる変化も細かく描写されています。
30年間で3000万本もの植林をした人物の不屈の精神が、どのようにして育まれてきたのかを知ることができます。
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今週号(4/11発売)の「ニューズウィーク日本版」は「国際情勢入門」が特集となっているのですが、別冊付録として「キリスト教の基礎知識」がついています。右の写真はその表紙です。
私が監修したもので、実際にはかなりの部分を私が書いています。15ページの小冊子ですが、短い説明や図表で何となくキリスト教がわかったような気にさせる内容となっています。
何と言ってもフルカラーはいいです。地図の色分けが鮮明にできますし、写真もきれいです。
本体の「国際情勢入門」もわかりやすく構成されていますので、おすすめです。
関心ある方はお買い求めください。
■ニューズウィーク日本版
http://nwj-web.jp/
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小原克博 On-Line に「医療の現場に対し、キリスト教倫理は貢献できるのか?」(『福音と世界』2007年2月号)を掲載しました。
紙数が限られていましたので、細かい議論はしていませんが、自分自身の経験を織り交ぜながら、キリスト教倫理の課題について記しています。
「キリスト教倫理は貢献できるのか?」という問いに対する私の答えは、YesでもありNoでもあります。どのような意味で?と関心を持たれた方は、拙論にお目通しいただければと思います。
■「医療の現場に対し、キリスト教倫理は貢献できるのか?」(『福音と世界』2007年2月号)
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小原克博 On-Line に、共著の森孝一編『EUとイスラームの宗教的伝統は共存できるのか―「ムハンマドの風刺画」事件の本質』(明石書店、2007年)を掲載しました。
出たばかりの本ですが、内容的にはちょうど1年前に話題となった「ムハンマドの風刺画」事件を扱っています。
タイトルが「EUとイスラームの・・・」となっていて、小さくサブタイトルで「「ムハンマドの風刺画」事件の本質」と記されているので、表紙だけ見ると、だまされてしまうかも(?)しれません。実際には、最初から最後まで風刺画問題を扱っています。
そう言ってしまうと、もはや鮮度を失った事件を扱っている時期外れの本のように思えるかもしれませんが、幅広く世界各地における反応を分析しているという点では、世界的に見ても類書はほとんどないと思います。
400ページ近くある重厚な本なので、誰にでもお薦めできるわけではありませんが、風刺画問題を通じて、問題を掘り下げてみたい人にとっては、多くの情報と知的刺激を与えてくれる一書であると思います。
かくいう私も、まだすべての章に目を通しているわけではありませんので、これからぼちぼちと読んでいきたいと考えています。
ちなみに、私はヴァチカンと世界教会協議会の対応について書いています。
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PHP新書『原理主義から世界の動きが見える――キリスト教・イスラーム・ユダヤ教の真実と虚像』が発売になったようです。関心ある方は、お近くの書店、あるいはAmazonなどのオンライン書店でお買い求めください。
■Amazon 『原理主義から世界の動きが見える』
■PHP研究所 『原理主義から世界の動きが見える』
本の概要は上記ページからご覧になれますが、小原克博 On-Line にも新規のページを追加し、「まえがき」全文を掲載しました。
■小原克博 On-Line 『原理主義から世界の動きが見える』
このタイトル(書名)は、PHPからの強い提案があって決まったのですが、さすがにタイトルには並々ならぬこだわりを示しておられました。当初、こちらは「原理主義と一神教」など、けっこう堅調なタイトル案を出していたのですが、潜在的読者にアピールするタイトルを、ということで、上記のタイトルに落ち着いた次第です。
「世界の動きが見える」とまで言えるかどうかわかりませんが、少なくとも、その補助的な役割を果たしながら、どのように見えている世界が「真実」に近いのか、「虚像」なのかについての理解を得ることはできるかと思います。
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本日、PHP新書『原理主義から世界の動きが見える――キリスト教・イスラーム・ユダヤ教の真実と虚像』が届きました。一般の書店にも15日頃には並ぶのではないかと思います。
帯や内容紹介、各章の表紙写真などは、実物ではじめて見ました。
う~ん、完全に9・11五周年をねらっている感じですね。帯には炎上するワールドトレードセンターの写真がのっています。
表紙の裏には出版社が作成した「内容紹介」があるのですが、そこには「9・11から丸五年。・・・国際情勢を左右する三つの一神教を比較分析、時代を見る目を養う原理主義理解の決定版」とありました。
決定版??? 著者もびっくりの、すごいPR文です。(^_^;) その言葉がどの程度真実かは、読者の判断にお任せするしかありませんが、関心のある方は、どうぞご覧になってください。
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山折哲雄『ブッダは、なぜ子を捨てたか』(集英社新書)を読みました。実は、『京都新聞』社から書評を依頼されたのが、この本を読むきっかけだったのですが、読み終わって、多くの人にお薦めできる本だと思いました。
ブッダが、なぜ我が子ラーフラを捨てたのか、という疑問から始まり、ブッダの生涯、ブッダ没後の仏教の変転、日本仏教の特異性などが非常にわかりやすい言葉で綴られています。
ブッダの教えや日本の宗教史を大づかみに理解したい人は、きっと満足できると思います。
山折先生の著書の基調には、この本に限らず、「旅」が大きな役割を果たしていることを感じさせられます。山折先生と共に時空を越えた旅をする・・・ そんな読後感を与えてくれる書物です。
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9月号の『ナショナル・ジオグラフィクス』に掲載されている、マイヤー教授(『ユダの福音書』の翻訳者の一人)と中沢新一との対談の全文を次のページから見ることができます。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/marbin0906.shtml
「ユダの福音書」は今やナショナル・ジオグラフィクス社の商業主義に乗せられている感がありますが、上記対談は、それなりに楽しめます。
ユダの福音書に言及しているというより、むしろ、グノーシス主義を中心にした議論になっています。正統派の信仰と、後に異端とされたグノーシスが、どのような分岐点を持っていたかについて、ある程度理解を深めることができます。
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原理主義についての本をPHP新書として出すということを、このブログでも、すいぶん以前に紹介しておきながら、実際の刊行が今の今まで延び延びになってきました。
タイトルは『原理主義から世界の動きが見える――キリスト教・イスラーム・ユダヤ教の真実と虚像』で、9月15に刊行予定です。長らくお待たせしました。
編集上の都合もあったのですが、ここまでPHP側にここまで引っ張られたのは、9/11五周年に合わせようとしたのではないか、と勘ぐっています。発売時期のタイミングは売り上げに大きく影響するそうで、その方面は、PHPまかせにしていました。結果的に、予定よりずいぶん遅くなりましたが、ようやく目処が立ってほっとしています。
原理主義に関する類書はいくつもありますが、ユダヤ教・キリスト教・イスラームそれぞれをつっこんで論究したものは、ほとんどありません。共著者の手島先生(ユダヤ教担当)、中田先生(イスラーム担当)の執筆部分、濃厚な味わいがあります。
現在の国際情勢を表面的に追いかけるという類のものではなく、歴史研究をベースに論が展開されていますので、比較的長期にわたって読まれるのではないかと(勝手に!)期待しています。
書店に並びましたら、ぜひ手に取ってみてください。
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大貫隆ほか編『一神教とは何か――公共哲学からの問い』(東京大学出版会)の書評を掲載しました。かなりごつい本です。そして、お値段もそれなりにご立派!(5985円)
これだけ高額の本は、さすがに誰にでも勧めるわけにはいきませんが、そこそこ読み応えがあります。「そこそこ」というのは、読者の関心の程度にもよりますが、執筆されている内容すべてがおもしろいというわけではないからです。しかし、大貫氏の論考をはじめ、興味深いものはいくつか(いくつも?)あります。関心のある方は、書評をご覧になって、実際の本を手にされるとよいと思います。
それにしても、これだけ値の張る本を堂々と出せる東大出版会はご立派です(嫌みじゃないですよ!)。
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最近、金城学院大学キリスト教文化研究所編『宗教・科学・いのち――新しい対話の道を求めて』(新教出版社)が出版されました。
私も一文を寄稿しています。タイトルは「「宗教と科学」に見る近代化の諸相―進化論を中心にして」です。導入部分を読むことができます。出版されたばかりなので、続きを読みたい方は本を購入するか、図書館で借りて読んでいただきたいと思います。
本の全体テーマの一つは「宗教と科学」なのですが、その問題設定が前提としているフレームワークを批判的に問うことを、拙稿の中では試みました。以下、そのポイントなる文章を引用しておきます。
宗教と科学の相補的な関係を問うことは、知的好奇心を鼓舞する魅力的なテーマである。しかし、その組み合わせが繰り返し語られる前提には、科学分野における西欧キリスト教世界の圧倒的な勝利宣言があるということを認識すべきであろう。この自己省察を欠いたまま、宗教と科学の関係を問うことは、結果的に、キリスト教こそ、他のすべての宗教に先立ち、またそれらを代表して、近代科学と対になり得る唯一の宗教であるという優越感と、他の宗教や文化に対する差別感情を増長させることになりかねない。
この課題をより自覚的に受けとめていくために、本稿では宗教と科学の関係を批判的に問う事例として進化論を取り上げることにする。
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ようやく採点が終わりました。これから少しは夏休みモードにはいれそうです。
さて、Yokoさんがコメントで紹介してくださっていた『アメリカの原理主義』を読み終わりました。さすがに記者の方だけあって、最近の出来事をインタビューや統計データなどを用いて、細かく描写しています。読みやすい本です。
アメリカ宗教史がご専門の森先生も、この本を読まれ、互いの感想を交わしました。森先生は「文章がへただな~」との第一印象を語っておられました。
確かに、ぐいぐいと引き込んでいくような文章展開はありません。いろいろな事実を取材経験を軸にしながら、淡々と語っていっているという面はあります。しかしそれゆえに、あまり引っかかりを感じることなく読み進めていくことができる、とも言えます。
事実の相関関係をまとめあげる肝心なところで、著者自身の言葉ではなく、その道の大家に語らせることによって、うまくすり抜けているという点が少々気になりました。概念の整理が少し弱いかなという印象を持ちました。
ちなみに、タイトルにもなっている原理主義についての説明は、何と最終ページになって初めて出てきます。それも辞書からの引用です。やっかいな概念であることは理解できますが、もう少し手前で出して、その概念を事例を通じて吟味していくという手法を取った方がよかったのではないかとも思いました。
また、欲を言えば、宗教右派とユダヤ・ロビーとの関係に言及して欲しかったです。宗教右派とネオコンとの関係については、かろうじて触れられています。しかし、昨今のイスラエルと取り巻く情勢においていっそう明らかになってきたように、なぜアメリカは、これほどまでイスラエルに肩入れするのかは、多くの人の関心事であると思うからです。
ちょっと辛めの評価をしてしまったかもしれませんが、全体としては、近年のアメリカの宗教性や、それと政治との結びつきなどを生き生きと教えてくれる好著であると言えます。
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小原克博 On-Line に「新世代エキュメニズムの模索」(『はなしあい』2006年6月号)を追加しました。
『はなしあい』は、日本クリスチャンアカデミーの機関誌です。私は日本クリスチャンアカデミーの評議員になっていますが、申し訳ないことに、あまりお役に立てていません。
上記原稿では、エキュメニカル運動に関する、私のこれまでの関心や取り組みをわかりやすく記しています。
ちなみに、エキュメニカル運動というのは、教派(場合によっては宗教)の違いを超えて、共通の課題に取り組んでいこうとする運動のことを指します。
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小原克博 On-Lineに、キネゾー(キネマ旬報 臨時増刊号:ダ・ヴィンチ・コード特集)に寄稿した解説記事を掲載しました。この増刊号は、なかなかよくできていますので、お薦めです。特に、映画と小説を比べながら楽しみたい方には最適だと思います。
下記リンク先の私の解説記事は、画面で読むのはちょっとしんどいので、印刷した上で読んでいただければと思います。
なお、先日の講演会の動画は今週中にアップする予定です。もうしばらくお待ちください。
■「『ダ・ヴィンチ・コード』ベストセラーの背景――なぜ本作がこうも論議を呼んだのか」、kinezo#2(キネマ旬報臨時増刊号)
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すでにこのBLOGで、PHP新書から出る原理主義をテーマにした本について断片的にお知らせしてきました。実は、この本の冒頭に座談会を組み入れることになっており、本日、その座談会を行いました。
もっとも、座談会のために咲くことのできるページ数は限られていますので、すべてを収録できるわけではありません。あとで編集上の苦労をしないように、90分以内に収めましょう、ということで座談会をスタートしました。ちなみに、わたしは司会を務めました。
ところが、終わってみると、結局、3時間半しゃべっていました。みなさん、おしゃべりです。(^_^;) ちなみに、みなさんとは、森先生、中田先生、手島先生です。もちろん、わたしも例外ではありませんでしたが。森先生は執筆者ではありませんが、今回、特別ゲストとして座談会に加わっていただきました。
この座談会をテキストにおこすだけで、十分に一冊の本になるような質と量の座談会でした。後半は、それぞれの人生観を語り合うようなカミングアウト状態になっていましたが、大の大人が原理主義をめぐって、日本のこと、世界のことを、これほど熱く語れるのは、すばらしいと思います。もっとも第三者が見ていると、きわめて異常な光景に見えるかもしれませんが。(^_^;)
この座談会の編集はPHPに任せるので、気が楽です。これを含めて、まだあれこれ編集作業等がありますので、出版は5月くらいになりそうです。
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『新約聖書への神学的入門』が完売しました。1週間ちょっとで45冊が売れました。
やはり、新春大出血サービス価格のおかげでしょう。あれが定価で売られていれば、わたしでも買いません。(^_^;)
私の場合、一冊2千円を超えると、買うときに躊躇します。けちくさい、ということもありますが、2千円という値段に見合った内容をもった本はそれほど多くないということを体験的に知っているからです。値段が5千円となると、かなりの勇気がいります。
と、自分の訳した本にけちをつけてもしかたありませんが、値段を考えなければ、中身は本当によい本です。
というわけで、ご購入いただいた方々、どうもありがとうございました。
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『新約聖書への神学的入門』送付のやり取りの中で、いくつか質問をいただきました。その一つに、なぜ組織神学者のわたしが、聖書学の本を翻訳したのか、というものがありました。
神学になじみのない人にとっては「組織神学」という言葉自体がわかりにくと思います。神学は長い歴史を持っており、その中で、当然、体系化されたり、細分化されたりしてきました。プロテスタント神学の場合、ドイツで形作られた学問体系が現在に至るまで、影響を与えています。聖書神学、歴史神学、組織神学、実践神学といった分類もその名残です。
組織神学は、簡単に言えば、キリスト教の思想や教義を扱う分野になります。
神学の内容が細分化され、それが日本でも受容されてきましたので、それぞれの分野が独立性を持ってきました。それは専門性の高さを保証すると同時に、「たこ壺」化してきた側面もあります。つまり、専門分野間の連携が失われてきた、ということです。
欧米であれば、それでも十分に学問市場が成り立ちますが、キリスト教や神学ということすら十分に理解されていない日本で、専門性に閉じこもるのは、あまり意味がないとわたしは考えています。
そういう思いから、わたしは組織神学をベースにしながらも、あまり専門性の違いを気にすることなく研究をしてきました。聖書学関係の本をたくさん読み、それに関心を持ち続けてきたことも、わたしにとっては「越境的」遊び心の表れです。
遊び心ですから、本当の専門家ほど、専門的知識は持っていません。しかし、あれこれの領域を飛び歩く中で、お宝を発見する醍醐味もあります。
そういうわけで、本来わたしの直接的な専門ではない聖書学の分野で、非常に気に入った本、その意味では、できるだけ多くの人にも読んでもらいたいと思った本に出会ったので、専門違いにもかかわらず翻訳することになった次第です。
最初にドイツ語の原書を読んだときは、わかりやすい本だ、と思い、これなら翻訳もそれほど苦労しないだろう、と思いました。ところが、わかりやすい日本語にするためには、想像以上の苦労があり、またその分野を専門としない自信のなさもあって、結果的には、かなり(!)苦労しました。
というわけで、『新約聖書への神学的入門』がわたしにとって、「最初」の翻訳にして、おそらく「最後」の翻訳となったのです。(^_^;)
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『新約聖書への神学的入門』の目下の売り上げ状況を簡単に報告します。神学館2階では20冊強が売れました。また、北は北海道・青森から南は九州まで、全国に15冊ほど郵送しました。ちなみに、郵送分の半分は東京都内でした。また、残部は10部ほどとなっていますので、ご希望の方はお急ぎください。
今回、郵送のやり取りの中で、いろいろな方がこのBLOGを見てくださっていることが、あらためてわかりました。ありがたいことです。
さて、購入者へのアフターケアーも兼ねて、この本を読むツボを簡単に説明したいと思います。
第一章「口伝と最初の文書化」は、一言で言えば、どうやって聖書ができたのか、ということを説明しています。聖書学になじみのない人にとっては、多少難解な箇所があるかもしれませんが、気にせず読み通してみてください。聖書学の基本的な考え方を、ここで理解することができます。
第二章以降は、聖書の各文書について説明がされていますが、聖書におさめられている順番通りではなく、著者や執筆年代ごとに、まとまりが与えられています。
わたしがこの本の魅力の一つとして、「訳者あとがき」に書いたことを次に引用します。
一般に書物を熟読するときには「行間」を読むということが求められる。聖書においても同様であるが、特に本書を通じて読者が知るのは聖書の「書間」を読むことの大切さ(楽しさ)であろう。自分にとって都合のよい箇所や書物だけを特別視し、解釈の(絶対的)基準にしてしまうのではなく、新約聖書の各巻の間にある差異がなぜ生まれたのかを問い、そしてそれらの差異が指し示す多様なベクトルの総和の中にこそ、イエスの生き生きとした姿(人間の恣意によって固定されない姿)を見るべきではなかろうか。本書はそういった目標のためのよい手引きとなるはずである。
このあたりの旨みを伝えてくれる本は意外と少ないのです。したがって、新約聖書の入門書は無数にあるとはいえ、この本には類書にはない魅力があります。
その意味では、タイトルが「新約聖書への入門」ではなく「神学的入門」となっているのは意味があります。「序論」のシュヴァイツァーの言葉から引用すると、次のようになります。
以下の叙述が一般の入門書と区別されるのは、次の点においてである。すなわち、史的問題は、新約文書の神学的に重要な表現をただ可能な限りよく認識するための根拠としてのみ役立てられるという点である。また、罪や恵みといった概念ではなく、一つひとつの文書を中心にしているという点において一般の新約聖書神学とも区別される。それはことさらに歴史的な過程の叙述でもあり、その限りにおいて、かなり控え目な試みである。その際、決して一つだけの関連する展開が考えられるのではなく、新しい手がかりや別の解決策、修正がいつも指示されている。それらは外側から見れば歴史的な偶然である。しかし、新約聖書の証言の統一性に対する問い、つまり、パウロやヤコブ書といった様々な応答が相互にどのような関係を持っているのかという問いは脈々と続いてきている。したがって少なくとも示唆されるべきことは、必然的に個人的になる決断において、著者は、教会の信仰と生活において観察される種々の緊張関係や対立を受けとめ、克服するために、どのような方向を見ていたのかということである。
第2章以降で各文書の説明を読み進めていく際には、聖書を横に置き、指示されている箇所に目をやりながら読んでいくことをおすすめします。聖書の解説を読んで、聖書そのものを読まない、というのは、もったいないだけでなく、解説の意図を理解し損なうことにもなりかねませんので。
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本日から『新約聖書への神学的入門』(本体価格5,500円)を新春出血大サービス価格で販売を開始いたしました。価格は以下の通りです。
・同志社大学神学館2階カウンターに取りに来ていただける方:1000円
・郵送を希望される方:1500円
郵送希望の方は、郵便番号・住所・氏名をメールにてお知らせください。申込みを受け取り次第、できるだけ早くお送りするつもりですが、時期によっては多少遅れることがあり得ることを、あらかじめご了承ください。代金の振り込み口座は、申込みメールに対する返信の中でお知らせいたします。なお、訳者サイン入りをご希望の方は、その旨お伝えください。
『新約聖書への神学的入門』の紹介ページに、かつて『本のひろば』に掲載された書評を追加しておきました。本書の背景などについて、きちんと論じているよい書評ですので、参考にしていただければと思います。
今日はすでに4冊売れました(第一号はCISMOR藤田さん)。ときどき、売り上げ状況を報告したいと思います。完売の日は近い!(かな?)
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Yokoさんのご紹介にもありましたが、今週号のTIME誌は"Hail, Mary"ということでマリア特集をしています。
ごく簡単に説明すると、今やアメリカでは、プロテスタントの中にもマリア信仰への流れが生まれつつある、ということのようです。特にヒスパニック系のプロテスタント信者にその傾向が強いとか、マリアの意義を再発見したという研究者や牧師の話が出ています。
実際、プロテスタントでは、マリアの出番はほとんどありません。クリスマスの時くらいでしょう。しかし、それでは、あまりにマリアを過小評価してしまっているのではないか、という声がプロテスタントの中にも出てきている、という趣旨のことがTIMEには記されていました。
もっとも、マリアの再評価は、フェミニスト神学の形成と共に始まっていますので、もう20~30年近い蓄積があります。マリアの女性性をより積極的に評価する流れと、マリアを女性の鏡とすることによって、女性に特定の性別役割を押しつけてきたという批判的な流れとがあります。
TIMEのイラストは、いつも気が利いています。今回のイラストも、下記ページから見ることができます(Gallery & Graphicsのところ)。
■TIME "Hail, Mary"
http://www.time.com/time/covers/1101050321/story.html
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今年の最後に読み終えた本を紹介します。石牟礼道子の『アニマの鳥』(筑摩書房)です。528ページある大作なので、気軽に読んでくださいとは言えませんが、多くの人に一読をおすすめしたい内容です。
天草・島原の乱を描いた小説ですが、時代考証がしっかりしているだけでなく、石牟礼さんの他の作品同様、非常に細やかな人間描写が過去の出来事を彷彿とさせます。
キリシタン迫害を描いた有名な作品には遠藤周作の『沈黙』などもありますが、ある意味で、この『アニマの鳥』は『沈黙』以上の迫力を持っています。
今は読み終わったばかりなので、うまく感想をまとめることができませんが、本の帯には次のように記されていました。
三十年の歳月をかけた渾身の大河小説、天草・島原の乱。栄誉や権力に縛られず、自分の魂(アニマ)を大切に、死をかけて個人の尊厳を守った人々の受難の歴史1200枚。「個人の尊厳」という表現は非常に現代的な響きを持ち、少々違和感を感じますが、いずれにせよ、自分にとって、家族にとって、共同体にとって「尊いもの」は何か、を考えさせる作品であることには違いありません。
「あとがき」によれば、石牟礼さんが島原・天草の乱を書き記したいと願ったのは、1971年、水俣病未認定患者と友に、チッソ東京本社に籠城したときのことであった、とのこと。文字通り、30年近い歳月をかけて記した作品と言えます。
水俣訴訟との関係だけでなく、現代における様々な課題、たとえば、戦争と宗教の関係、戦争で奪われる人の命のことなどを連想しながら、ページをめくることになりました。
天草四郎は、かつて映画「魔界転生」(1981年)で沢田研二によって演じられ、わたしもこのときの印象が強く残っているのですが、この映画では、まさに魔物扱いされていました。ほんと、ひどいものです。
2003年にはリメーク版「魔界転生」も上映されていますので、最近は、こちらの方を知っている人の方が多いかもしれません。
これら映画では、天草四郎は退治されるべき魔物のように扱われており、ある意味で、当時の幕府から見たイメージに現代的な装いを与えていると言えるかもしれません。
その点、かなりの年月をかけて調査した上で執筆された『アニマの鳥』は小説であるとはいえ、天草四郎時貞の実像にかなり肉薄しているのではないかと感じさせられました。いずれにせよ、一年の最後に、ずしりとくる一冊を読み終えたという感慨が深いです。
みなさん、よいお年をお迎えください。
■Amazon 石牟礼道子『アニマの鳥』
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『ダ・ヴィンチ・コード』に続いて、もう一冊おすすめの本を紹介します。本というよりマンガです。しかし、これは、かなり考えさせられるマンガでした。こうの史代『夕凪の街 桜の国』です。
ヒロシマを描いているのですが、原爆を直接に描いているわけではありません。しかし、柔らかなタッチで描写されるストーリーの背後に、ヒロシマが語りかけてくるメッセージが明瞭に浮かび上がっています。
たった100ページほどの短い作品ですが、しんみりと考え込まされました。
本の帯には、漫画家・みなもと太郎氏による次のような文章がありました。
実にマンガ界この十年の最大の収穫だと思います。これまで読んだ多くの戦争体験(マンガに限らず)で、どうしても掴めず悩んでいたものが、ようやく解きほぐせてきた思いです。その意味でこの作品は、多くの記録文学を凌いでいます。マンガ史にまた一つ、宝石が増えました。こうの史代さん、ありがとう。
読む前にこの帯の文章を見ると、ずいぶん大げさに感じましたが、読んだ後は、それがあながち誇張ではないと思わされました。
わたしの祖父は、ヒロシマでの被爆者でしたが、その関係で、わたしもヒロシマ関係の本は、普通の人以上に意識して読んできました。わたしの限られた経験の中においても、この作品は飛び抜けて印象に残るもののひとつだと言えます。
マンガは好みが別れるので、普通、わたしはマンガを人に勧めることはあまりないのですが、このマンガは、多くの人にお勧めしたい一書です。
■Amazon こうの史代『夕凪の街 桜の国』
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遅ればせながら『ダ・ヴィンチ・コード』を読みました。
へそ曲がりなのか、世間で話題になっている本は、読まないことが多いのですが、今回、親しい人の薦めがあって、またちょっと気にはなっていたので、一気に読みました。
新聞の宣伝文句にもあったように、寝る間も惜しんで読み上げたくなるほどのアップテンポなストーリー展開でした。暗号解読ものに興味がある人にとっては、スリリングな一冊と言えるでしょう。
ちょっと辛口の批評をすると、よくも悪くも、ハリウッド映画を見ているような展開であるとも言えます。ちなみに、この作品はトム・ハンクスを主演として映画化されることが決定しているそうです。
スピーディーかつ、突然のどんでん返しに、ぐいぐい引き込まれていくことは確かですが、人物描写や心理描写は決して繊細であるとは言えません。悪は悪で、底なしのドロドロを描いてほしいと、勝手に期待してしまいますが、結構、あっさりしています。
今、石牟礼道子さんの作品を読んでいるのですが、その緻密な筆先とは比べるべくもないな~と、ふと思ったりします。まあ、ジャンルが全然違いますので、比べるのが間違っているかもしれませんが。(^_^;)
しかし、さすがに世界中でベストセラーになっただけの魅力は随所にちりばめられています。
簡単に言ってしまえば、ダ・ヴィンチをキーにした聖杯伝説(物語)となるのでしょうけれど、各所に、かなり専門的な神学、キリスト史、象徴学などの知識が出てきます。こうした部分は、一般的な読者には多少難しく映るかもしれません。三位一体論などが、さらりと出てきます。
こうした古典的なテーマを取り上げる一方で、カトリック教会の青少年に対する性的虐待、MP3プレーヤー、スマート(車)など、きわめて現代的な事象も、さらりと織り込まれています。
『ダ・ヴィンチ・コード』が素材として扱っている宗教的・歴史的知見が、学問的に正しくない、といった批判が時々なされるようですが、これは筋違いでしょう。サスペンスなんですから、あまり重箱と隅を突っつくようなことをしても意味はありません。
むしろ、大筋として、「女性的なもの」の復活にウェイトが置かれている点に、現代のキリスト教や西欧社会のトレンドの一つを見るべきでしょう。物語の中では、マグダラのマリアが重要な役割を果たしています。カトリック教会によって隠蔽されてきた、マグダラのマリアにまつわる真実を明るみに出すこと、これがこの本の中で、徐々に明らかにされていく聖杯の秘密につながっていきます。まだ読んでいない人のために、ネタばれにならないよう、このあたりで止めておきます。
余談ですが、『ダ・ヴィンチ・コード』で権力・支配欲の権化として描かれている「教会」とはカトリック教会のことです。まじめなカトリックの人が読めば腹立たしくなるかもしれません。しかし、小説に刺激的な素材提供できるほど、よきにつけ悪しきにつけ豊穣な素材を持っていることを、カトリックは誇りにしてもよいと思います。変な言い方ですが・・・ 少なくとも、シンプル・イズ・ベストを旨とするプロテスタントでは、小説ネタが少なすぎて、話にならないのですから(^_^;)
下のページは、角川書店によるダ・ヴィンチ・コードの専用ページ。フォトギャラリーが、よくできています。ルーブルなど、物語の舞台となった場所が掲載されています。この本を読んで、ルーブルにまた行きたくなりました。
■ダ・ヴィンチ・コード(角川書店)
http://www.kadokawa.co.jp/sp/200405-05/
■Amazon ダ・ヴィンチ・コード
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